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感想続き/302号室/演劇をしようと思う


「明日」が今日になってしまいましたが、ワタリウム美術館で行われている寺山修司展『ノック』の関連イベント飴屋法水『302号室より』の感想続きです。

ベッドに腰を下ろした飴屋法水は台詞を続けながら(「19歳の寺山修司」としての入院生活のことだったか。日々の体調の変化、病気による死への恐怖、何もすることがなく本ばかり読んでいる、といったこと…だったかな)、開場時からベッドの上に置かれていたベルトを体に装着していく。ここで観客はそれがハーネスであったと知るのだけれど、私は事前にツイッターに上がったリハーサル写真ですでに知っていた。フルハーネス安全帯と呼ばれる工事作業員が使う物だ。というよりテレビのバラエティで芸人がリアクション芸で吊るされる時によく見るアレといったほうが馴染みがあるかもしれない。両肩から背中で十字にまわし、両脚の鼠径部と尻を通して、胸と腰で固定するのだが、付け方がむずかしいのだろう、喋りながらスムーズには装着できずに、左肩の部分で大きく捩じれたままのベルトに途中でころすけさんが気づいてそれを直した。

ころすけさんは飴屋さんが現れる直前に再び会場に戻り、最前列の私の隣に座っていた。パフォーマンス中に演者ではない人が介入するのはパフォーマンスの内容や質にもよるがちょっとしたハプニングで、できればそういうことはないほうがいいはずだ。ころすけさんがさっと腰を上げて素早く手を掛けた瞬間に私の緊張感は一気に高まった。細心の注意が必要なことが行われるのだなと感じたのだ。飴屋法水はころすけさんに直してもらった後に「むずかしいね」と小さく笑った。その一瞬だけわずかに綻んだ表情を除けば、いつもの飴屋法水の穏やかさと厳しさが共存した、透徹したようなそれで本人の気負いは見えないが、ベッドの向こう隅に待機するように座っている山川冬樹さんもハーネスを付ける飴屋法水を見守るように見つめていた。

緊張感はその一連の様子を近くで見ていたからだけではなく、黒いハーネスという装置を身につけた姿の異様さにもあった。どの段階だったか忘れてしまったのだけれど、ハーネスを付けた直後ではなく、少し経ってからハーネスに付属したリモコン装置を自ら操作すると、吹き抜けの開口部からワイヤーの先に付いた大きなフックが降りてきて、飴屋法水はそれをハーネスの背部にガチャリと掛けた。見ようによっては拘束着や貞操帯を連想させるそれは寺山修司の演劇作品の舞台美術を思わせた。

装着を終えた飴屋法水は(パフォーマンスがどういう順序で行われたか、流れの記憶がこのあたりからさらに曖昧)たしか腰掛けたまま一冊の本を手に取り「少し読みます」と朗読的に語り始めた。あるいはベッドに横になり、俯せになったり仰向けになったりした後だったかもしれない。その本を読む前には「ナカノ先生に手紙を書いた」というような台詞があったが、「ナカノ先生」とは寺山の青森での恩師である中野トクのことで寺山修司を好きな人であれば存在くらいは知っているかと思う。

飴屋法水が手にした本は寺山修司が中野トクに送った手紙をまとめた『青春書簡』。それをパラパラめくりながら、ランダムに短いセンテンスを読んでいく。ピックアップされたのは入院生活時期の手紙で、「濃紺のトックリのセーターが着たい」とか「おいしい天丼(天蕎麦?)」のこととか、ファッションや食べ物へのこだわり、それから「生きたい」というストレートな言葉。昔読んだはずの『青春書簡』の内容は覚えていないが、文学や思想についてではない、あえて俗な、生活の匂いがある一節、ナマの「生」に密接な言葉が並べられていく。評伝などから窺い知る限り、若いこの時期だけではなく、寺山は俗な面を隠さない人だった。ベッドに座る飴屋法水を介して生活者・寺山修司の姿が現れてくる。

語りを止めた飴屋法水は開いた状態の本をベッド前のスツールの上に置き、靴のままベッドに戻って、寺山修司展の展示である壁面に転写された赤い文字のフレーズを読んだ。「にんげんは、不完全な死体として生まれてきて、一生かかって完全な死体になるんだ。」寺山の残した最も有名な言葉のひとつ。このアフォリズムは生前最後の詩として新聞に掲載された「懐かしの我が家」にも見られるが、それ以前に演劇や映画でも幾度も形を変えて使われている。壁に書かれていたのは「懐かしの我が家」ではなく、たしか演劇作品での台詞の引用だった。(いま引いたフレーズは私の記憶によるものなので、そこに書かれ、飴屋法水が読んだものと若干違っていると思う。)

「にんげんは、不完全な死体として生まれてきて、一生かかって完全な死体になるんだ。」と繰り返し口にしながら、飴屋法水はハーネスに下がったリモコンを握る。モーター音とともにワイヤーが張られ上がっていき、飴屋法水の体が吊られて宙に浮いた。そうなるのはわかっていてもその瞬間の鮮やかさには息を飲んだ。文字通りに息を止めて見ていたと思う。中空で揺れる飴屋法水は全身を脱力させた体勢で脚だけはハの字に開いていた。ただ力を抜いた脱力ではなく「脱力したように見える」体勢を取っていてそれがとても美しい形なのだが、しかし自らのリモコン操作(リモコンは片手に収まるボックス型で操作は指1本で行っていた)で上下する飴屋法水はあたかも死体のような、「不完全な死体」だった。ベッドから数10センチのところで止まったり、数メートル上がってしばらく静止したり。あるいはワイヤーの上下に体を委ねるだけではなく、ベッドの鉄枠の上に舞うように着地させた足を支点に体を大きく傾けたり、つま先がベッドにぎりぎり触れる位置で止まり、かすかに力を加えた足を軸に回転したりする動きも挟まれ、ワイヤー1本で操作されるあやつり人形のように上下して、揺れ、回転する様はダンスのようでもあった。

生身の人間による人形のイメージは、もしかしたらかつて飴屋法水が活動していた東京グランギニョルと天井桟敷を接続させたものかもしれないけれど、私はどちらの舞台も体験していないのでこれは妄想でしかない。また私の位置からは飴屋法水の一挙手一投足、表情や目の開け閉じ、空中でどういう姿勢でいたかまですべて見えていたが、前回書いたようにパフォーマンスのスペースの手前上半分には巨大なパネルがあり、後方からは上昇した飴屋法水の姿が隠れて見えなくなったはずで、パネルの上部は少し空いていたので最も高い位置まで上がれば再び見えていたかと思う。位置によってかなり違ってくる見え方がどこまで意図されていたのかはわからないが、欲をいうと上昇して消える様子も見てみたかった。

ワイヤーによる「不完全な死体」のダンスは徐々に激しさを増す。急上昇と長い静止。ほとんど墜落に近い降下。その繰り返しで飴屋法水の体は重力に揺さぶられ、降下ではベッドや床やサイドテーブルに全身を打ち付けて崩れ、幾度となく頭も直接打っていた。音と振動は直にこちらに伝わり直視できない場面もあった。そうした激しい動きにおいても飴屋法水の体は「脱力」を演じ続け(後半に至ってほぼ目は閉じられていた)、ほとんど無抵抗に上がり下りを繰り返すうちにハーネスがズレて首や腕を圧迫したり、肩から外れそうにもなったので、その度に視界にいる山川冬樹さんが助けに入ろうとしてか身を少し乗り出していたし、隣のころすけさんが歪んだ体勢のまま吊られた飴屋法水を凝視する横顔も目に入り、こちらまで緊張が伝わってきたが、観客として見つめるしかない私もまた体を硬直させていた。しかし硬直しながら興奮もしていて、いま思えば少し大げさかもしれないが、肉体が意思から自由になって(皮肉にも拘束され機械による負荷を与えられることでの自由)肉体そのものとして動く様子に、これほど美しいダンスは見たことがないとも感じたのだった。

飴屋法水はほぼ終始リモコンを操作する時は耳に当てるような位置で持っていた。その姿は何かと通信しているようにも見えたものの、実際的にはあのポーズでいることでスタッフに自分の身の安全を伝えていたのかもしれないとも思った。あの激しい動きを見るとハーネスが首に絡まったまま宙に吊られるような事故もあり得たからで、万が一そんなことになったら下にいる者からは状態がすぐに判断しづらかっただろう。それくらい危険を伴う表現/作品だった。本当に無事でよかったと思う。

この宙吊りの空中パフォーマンスは『302号室より』のハイライトであり中核であったと思うが、作品構成の部分であり、全体の流れの中で断続的に行われた。『青春書簡』の後には寺山修司が書いたラジオドラマの台本が部分的に読まれた。ベッドに俯せになり照明が落とされた中で飴屋法水はマグライトで文字を追った。それは消灯後にも読書を続けた寺山の入院生活の姿かもしれない。あるいはステージの照明が他者の手による自己制御不能な運命的なものだとすれば、自らが手にしたマグライトの小さく強い灯りは主体の意思ともいえる。生へのささやかで強烈な指向性だ。読まれたラジオドラマは寺山が初めて書いた『ジオノ・飛ばなかった男』と『中村一郎』。『中村一郎』は2作目だったと思うが、飛び降り自殺を図った男が落下できずに空中を歩く人間となって騒動を起こす話。どちらも飛翔と落下、空中がモチーフに扱われており、ごく単純に飴屋法水のパフォーマンスはそこから発想したか重ねられたものと考えられるが、一方でラジオドラマを取り上げたのはそれが寺山の短歌と並ぶ最初期の創作活動であったことと、声そのものへの飴屋法水の関心があったのではないか。

前回書いた飴屋法水の声の扱いもそうだし、ラジオのセット、ラジオドラマに続き、さらに寺山修司本人の声が登場する。寺山修司は青森訛のある独特の語りをする人だった。いまでいうテレビのコメンテーターのようなこともしていたのは私もよく見たが、一般的には(特に昭和生まれの者には)寺山修司というとその喋りで思い出す人も多いのではないか。(タモリと三上寛と中村誠一の3人が全員寺山修司になって会話する集団モノマネ、あれおもしろかったな。)飴屋法水は『中村一郎』の台本を朗読する途中で、「ザクさん」と客席側のフロアにいる音響のzAk氏に声を掛け、寺山修司が晩年続けていた谷川俊太郎(谷川俊太郎は学生時代の寺山の才能を発見し、シナリオや作詞の仕事を紹介している。交流は晩年まで続き、寺山の最期を看取った一人でもある。)との往復ビデオレターの上映と音声を流すように頼んだ。その音声にかぶせて『中村一郎』を読む飴屋法水。そして再びの上昇と下降。『中村一郎』の台詞だったか、寺山の別の作品の言葉か、飴屋法水は空中から「不完全な死体」となって何モノかに何度も何度も呼び掛ける。「おーい、おまえは人間かー?」あれはいったい誰に呼び掛けたのか、見る者は自問せざるを得ない呼び声。

最後の空中から着地してハーネスのフックを外しワイヤーを巻き上げる。ハーネスも外しただろうか。ベッドに腰掛けたまま、斜め上のほうに視線を向け、言葉と言葉の間にとても長い間を取りながら飴屋法水は小さな小さな声で言った。「新宿の」「病院の」「302号室」「僕は」「まもなくこの病室を出て」「この病室を出て」「それから」「演劇をしようと思う。」

それは療養を終えた寺山の新たな生の宣言であり、その後の膨大な作品と業績を知っている私たちは一気に時空を翔ぶことになる。事実、演劇をすることになる寺山は、しかし当然ながらもう死んでおり、会場となった展示室の作品の残骸たちにまさにいま私たちは取り囲まれている。そしてこのパフォーマンス作品の台詞としては最後になった「演劇をしようと思う。」これは同時に飴屋法水による自己言及でもあると思った。寺山へのオマージュ作品であると同時に、生者である飴屋法水の体を介して召喚した死者をさらに介することで語り得た普遍的な過去と未来、生と死の肯定。演劇はそういうこと(こういうこと)を観る者の内に出現させることができる、その力を信じる、と言っているように聞こえた。

それから飴屋法水はおもむろに立ち上がり、脚がテープで留められていたベッドを激しい勢いで引き剥がして縦に起こし、寝台が客の方向になるように奥に押して立て、登場時に持ってきたステンレスボールの中に入っていた液体を白いマットにぶちまけた。マット全面に飛び散り線を引いて床へと滴り落ちた薄赤い液体はネフローゼの症状で体内に溜まる腹水のイメージだろう。濡れた床にはクリップで綴じられたコピー紙のラジオドラマの台本やポータブルラジオ、倒れたスツール、病室の小道具などが散乱していて、照明が落ちるとそこから引いた手前には『青春書簡』とベッドをまっすぐに照らすマグライトの光が浮かび上がった。マグライトのあまりにも見事な位置はベッドを立てる時に飴屋法水が置いたのか、偶然その位置になったのか、そこまでは見ていなかった。床に直立したベッドは現実の空間にいきなり投げ込まれた虚構の象徴のように見えたし、寺山修司が試みた虚構による現実の転覆を表現したインスタレーションのようでもあった。

終演後はしばらく呆然として動けなかった。振り返ると思った以上に多くの客がいて、全面ガラスになった階上フロアにもたくさんの人がいた。少し後ろの席にいた飴屋さんの娘、7歳のくるみちゃんが知人の方に抱かれてころすけさんのところへ連れて来られ、見ると眠そうに顔をこすっていた。「がまんしたのにねちゃった…」と申し訳なさそうに言うくるみちゃんの頭をころすけさんは「そっかそっかー」と笑顔でくしゃくしゃに撫でてていた。

あとでツイッター上で鑑賞環境としての不満やほとんど見えていなかったなどのコメントを見た。この感想は最前列で見ることができた数少ない一人として、上演記録の意味も感じて書きました。曖昧で間違っている部分もかなりあると思われる記録ですが。





なー、ゴマ。感想続き/302号室/演劇をしようと思う_d0075945_10240.jpg

# by gomaist | 2013-11-02 00:53 | 演劇

寺山修司/302号室/飴屋法水


ワタリウム美術館で行われている寺山修司展『ノック』の関連イベントとして、10月27日に行われた飴屋法水『302号室より』を観た。今日はそれについて書きます。本当は「飴屋さん」と書きたいところなのだけれど、やはり馴れ馴れしすぎるので、以下敬称略の「飴屋法水」で統一します。

10月27日日曜日、ワタリウム美術館。飴屋法水『302号室より』の開演は20時。受付が始まった19時40分を過ぎると1階エントランス、雑貨や書籍が並ぶ店内には来場者が徐々に増え、立つ場所にも困るほどの状況に。最終的に招待客含め100人は軽く越えていたのではないか。会場準備が押しているとのことで20時を過ぎてようやく整理番号順に入場。受付時にチケットとして4センチ四方くらいの赤いステッカーが渡され、体の目立つ位置に貼るようスタッフに指示されたそれに記された私の整理番号は009で、優先的に案内された美術館会員の方々に続いて会場に入った。

ワタリウムの寺山修司展にはすでに一度訪れていたが、入場は通常のエレベーターではなく外階段が使われた。イベント会場は2階。中に入ると展示ケースの一部が移動して寄せられ、通常展示にはなかった舞台装置っぽいチャコールグレーの木製ドア。扉面には白いチョークで「302」と雑に書かれている。くぐって左に回るとすぐ手前に照明と映像のスタッフの櫓が組まれ、奥には昔の病院で使用されていたような白い鉄製フレームのベッドがあった。手前には「CAUTION」の黄色いテープが貼られ、そこが客席の前列になるのだろう。まだ客は10名にも満たなかったが椅子席はなく、床に座り始めた他の客に倣い私は2列目に座った。すぐ右横には機材を並べた音響担当のzAk氏がすでに床に座りスタンバイしていた。ベッドの向こう側の隅に山川冬樹さんがいるのにも気づいた。

吹き抜けになっている2階展示室の奥は両側の壁面に渡した巨大な展示パネルが床上2〜4メートルに架かっていて、座ったのはちょうどその真下あたり。飴屋法水がパフォーマンスを行うスペース、ステージとなるのはパネル位置の向こう側の三方が壁になった狭いスペースで、そこにベッド、小さな木製サイドテーブルの上には脱脂綿の入った瓶と医療用金属プレートとカテーテルらしき器具など。手前には座面が樹脂製の白いスツール。ベッドの横には古い型のスピーカーと短波も入るような70〜80年代あたりのラジオ。ベッドの上にはアンテナが斜めに立ったポータブルラジオと、後にハーネスとわかる黒いベルトらしきものが無造作に置かれていた。また奥の壁には銅製灯籠?鐘?寺山作品のセットに使われていそうな物が吊られていたが、それが展示品そのままのものだったか、イベントのために用意されたものかはわからなかった。さらに三方の壁には直接天井桟敷の舞台の様子/役者の特異な図像、寺山の言葉が大きく転写されているがそれは展示時のままのものだ。

会場が混んでくるにつれて場所を詰めた結果、私は最前列へ。CAUTIONのテープは外され、目と鼻の先にサイドテーブル、そしてベッド。しっかり後ろを振り返ることは出来なかったが、相当の客が入っていて後方の人たちがひしめき合うように立っているのはわかった。その時点で20時10分ほどにはなっていただろうか。ベッド脇のラジオから音はかすかに流れていたが、スタッフによる開演中の注意とまもなくの開演という挨拶があってからもなかなか始まらず、もちろん飴屋法水の姿もない。やがて照明が弱く落とされ、チューニングがずれたラジオニュースやクラシック中継(これは会場のどこまで音が届いていたか、おそらく前方列までしか聞こえていなかったのではないか)に重なり地鳴りのようなノイズ、ベッド上のポータブルラジオからもプツプツと音。それだけの状態が10〜15分は続いていたと思う。私は何度も吹き抜けになっている頭上、実質3階の天井にあたる部分が開口していてそこにある機器と時折見える人影を見上げていた。斜め向かいの角隅に座った山川さんもまた時折そちらを見ていて、そこに何かの仕掛けが施されていることが推測できた。

そのときの時間が演出なのか上演が押しているのかわからなかったが、ただ「何も起きていないことが起きていることを強制的に体験させられている」ようにも感じたのはzAk氏による音響が続いていたことと、暗く落とされたベッドの中央で白いライトに照らされた黒のベルトの存在感が増してて見えてきたからだし、「強制的な体験」がすなわち「演劇的」でもあると同時に、寺山の市街劇『ノック』との対照にもなっているのかとも考えていたが、おそらくそれは妄想的な読みで、待つことを相当に苦痛を感じていたのは確かだった。(私はこの日ひどく疲れていて体調も優れなかったのだ。)

これはいったい何が起きているのだろうか?という頃に、下手の壁面の隙間から飴屋さんのパートナーであるころすけさんが足早に現れ、サイドテーブルの上の木皿を取り戻っていった。さらにそれからどれくらい経ったか、5分?10分?その間に別のフロアからだろうか、何度か人の声が響いた。それは独り言のようにも言い争いのようにも聞こえた。やがて先ほどの302のドアをノックする音が聞こえて照明がさらに落ち、ようやく飴屋法水がやや荒々しい足取りで登場した。手にした医療用らしきステンレスボールをベッド下に投げ入れるように置き、もう一方の手に持った本と留められた紙束をベッドにばさりと落とし、そのまま上手へと向かい、壁を背に足を掛けたり体を前後させ腕を振り、軽くステップを踏むような動きをしながら、ベッドの上のそれ、黒いベルトに向かって訥々と語りはじめた。

この時の声、その後も全編ほぼそういう印象だったのだが、特に始まってしばらくは照明が暗く飴屋法水の顔が見えにくかったこともあり、録音された音声かと完全に錯覚した。そうではないと気づいてからも本人の生の声が最前列にいながら聞こえてこないことが不思議だった。それは飴屋法水の独特の発声と声質、音響技術によるものだったのだが、そのせいでまるで飴屋法水はここにいてここにいないようにも感じたし、ここにはいない飴屋法水か別の誰かが飴屋法水の体を介して声を送り込んでいるようにも思えた。

最初のその時に飴屋法水はこのようなことを言った。「そこに何かがいるのはわかっていた/正体を確かめるのが怖かった/それが自分より弱いものであればいいが、もし自分より強い生き物だとしたら簡単にやられてしまう/それは生き物のようでもあり、別の何かのようでもあった/それはすべてのようでもあった/それはそれ以前のようでもあった」(これらの台詞も含め、これからここで引く台詞と描写する動きはすべて記憶の中で変形している可能性がある。しかし変形したほうには寄せず、出来る限り現場で目撃したことに近づけるようには書いてみる。)

ベッドのそれに怯えるように、威嚇するように、挙動不審な様子で飴屋法水はベッドのまわりや上をナイキのスニーカーを履いたまま動きながら語り掛け、ベッドに座った。ここで「それ」の正体を「体に巣食い、腎臓を壊して、死に至らしめる、ネフローゼ」であると明かすのだけれど、そこまで語られたものと「それ」と「ネフローゼ」はまったくのイコールではない。飴屋法水はずっとベルトに向かってベルトでもネフローゼでもありえないことを話し掛けていた。「それ」は死か。人間の生を脅かす何か、その象徴か。そして飴屋法水は「僕は19歳だった」「ここは新宿の病院」「その302号室のベッドにいる」と言った。台詞だけで捉えれば、実際に混合性腎膵炎からネフローゼを患って死にかけたことがあった、20歳前後の寺山修司を飴屋法水は演じている、あるいは演じようとしている。しかしそれは演じているというより、19歳の寺山をイタコの口寄せのように呼び寄せたように見えた。飴屋法水は飴屋法水のまま、同時に19歳の寺山修司でもあった。飴屋法水がいるのは新宿の病院の302号室のベッドの上であり、ワタリウム美術館寺山修司展の展示室であり、まったく別のどこかへの入り口だった。冒頭、私たちは(少なくとも私は)気づいたらそこに迷いこんでいた。

ところで『302号室より』という意味深なタイトルの意味があらかじめ明かされていたことは後になって気づいた。何度も見ていたこのイベントのフライヤーに<ネフローゼを患い、新宿の社会保険中央病院に入院していた頃の寺山修司。1955~58年頃。>とキャプションが付いた寺山修司の写真が最も目につく位置に配されていたのだった。

長くなるので続きはまた明日書きます。




なー、ゴマ。寺山修司/302号室/飴屋法水_d0075945_202968.jpg

# by gomaist | 2013-10-30 02:20 | 演劇

7月6日/グッドバイ/暑さ


7月6日。東京の最高気温は34℃でその時はそんなことは知らなかったけど、陽射しはまっすぐで強く、34℃あったと言われればそうだったかもしれないと納得するほどには暑くて、戸が開け放たれた清澄白河SNAC前の一方通行の道は白く光って人通りは多かった。バストリオの新作『グッドバイ』は会場と空間的に隔たりのない戸外を使って上演されたが、これまでもバストリオは毎回場所を変えながらそれぞれに固有の空間性を常に組み込んだ作品を作ってきたし、上演環境と作品内容が不可分であるということは取り立てて特殊性をもたらすものではなく、舞台表現の一回性を自明として、作品の質感のようなものを現前させることに取り組んでいると思われるバストリオにとっては、空間の扱いや「舞台/客席」=「演者/観客」に生成する関係は舞台上で行われる行為と同列で変数として作品に組み込まれてしかるべきものであって、もはや特筆される要素ではないのだけれど、そのこと自体がバストリオの特有性を作品へのとっかかりにおいてはわかりやすく示しているかもしれない。

バストリオを語ることはむずかしい。それは言葉でつかみとれるようなことを彼らがしていないからだ。過去には『絶対わからない』という態度表明のような作品があったが(頭で理解するという意味ではほんとにほとんどわからなかった:笑)、わからないことをわからないまま提示すること、つまりわからないことこそが表現すべきものであり、わからないことをわかるようにするのが目的ではなく、わかることの価値より、わからないことの価値に依拠しながら、そのわからなさを表現によって現前させ、観客に感覚させ、現実に接続することで、表現という回路を通じて現実の正体に肉薄すること。そして生の肯定の在処を探ること。それがこれまで観てきた数作の舞台作品(バストリオは映像作品もある。観てないけど)に共通して感じたバストリオの目指していることだ。現実のすべてをわかることなんて誰にもできない。だからこそおもしろい。生まれて生きて死ぬだけ、それが現実のすべてだ、という境地に身を置いていられない人たちがじたばたしながら、人間と現実について、私とあなたと世界のあれこれについて、生きることについて、考え、全身で表現している。その「現れ」がおもしろいし、僭越ながら共感もする。出題と正解で成立するクイズみたいな現実にしか興味がない人にバストリオはまったくおもしろくないのだろうと思うが、クイズで解ける世界像と解けない世界像のどちらがよいのか、私にはわからないし、どちらがよいかわかって正解を出すことがそもそもクイズ側の考え方だから否定も肯定もしない。

今作の『グッドバイ』もまた本質に変わりはなく、関連性があるような、ないような、シーンやセリフ、ダンス的な身体表現、小道具使いの断片からなるつくりも、これまでのバストリオ作品に見られた表面的な特質においても大きく変わるところはなかった。ただ、上演開始と同時に「跳ねた」感覚が、体を実際にぐいっとつかまれたような強さでもって走り、その予感に近いものは水が溢れるぎりぎりの表面張力のようなテンションで終演まで、終演後までも持続していた。過去最高の作品強度だったと思う。そこに達したひとつはシンプルなフレームにあったのではないか。出演者が外から会場に入って来て横一列に並び、実名で紹介されるところから上演は始まるが、会場を戸外に開放した形態とともにここで示される現実/虚構の境界を外したフレームは、本作と原作である太宰治『グッド・バイ』との関係、さらに『グッド・バイ』作品世界と太宰治=津島修治との関係に重ねられる。大きな方向を見せた上で予想される多層性に期待を煽られる導入は「いったいこれは…」とつかみどころを探りながら謎が増殖していくこれまでのバストリオ作品との違いを感じさせた。

そのフレーム(というほどの明確なものではなく、現実/虚構を往還し境界を無効化する方法とでもいうか)の中で、出演者の日記(格助詞が抜かれた文として)が読まれたり、マッチが擦られたり、言葉や記号が紙に書かれて貼られたり、小銭が撒かれたり、時間の流れを引き伸ばすようなダンスやコミュニケーションのカリカチュアのようなダンスが行われたり床に転がったり、誰かの記憶が語られたり、水が注がれたり、水を飲んだり吐いたり浴びたりして、水のイメージは樹海の描写から生命をめぐる話を経て川のイメージにもつながって、太宰の入水が暗示されたり、唐突に漫才が挿入されたり(あの「焼き」のネタはフットボールアワーに似たものがある)、出演者は町へ出てしばらく歩いて戻ったり、通りの向こうに立ち(出演者がそこに立つ時、会場内にはない劇的な虚構が立ち上がる。彼らは異界の者のようにも見え、クルマや人の行き交う道が異界との分水嶺になる。そして彼ら異界からの視線と声が交通することによって会場は町の中に出現した異界に変容し、観客は会場にいながら偏在して俯瞰する者になる)、または入り口前のベンチに座り、会場内を見ていたりする(その姿はここと異界を俯瞰する観客と近似する)のだけれど、それら断片の関連性は先ほども書いたように明白ではない。

明白ではないのだけれど、予想以上に原作のテキストがそのまま使われるシーンが多く(とはいえ、原作の舞台化とも引用ともちがう扱いになっている。主人公<田島>の代理として配された原作には登場しない<X>とは<田島>の分身であり操り師である太宰か、作品世界に介入した不特定多数の読者か観客である我々か、『グッド・バイ』を虚構から現実に引きずり出した今野裕一郎か、それとも現実そのものか)全体を貫通していたことと、それとの相互作用もあってか、シーンやセリフが研磨されて無駄がなく(ノイズがないという意味ではなく、精度が高い、純度が高いという意味で、前作『点滅、フリー、発光体』での達成をさらに更新していたと思う)、すべてがフレームの内外へ乱反射していた印象があり、さらに音楽とフィールドレコーディングの音響がシーンを紡ぐように作品のトーンを浮かび上がらせていたことで、これまでのバストリオに多く見られたシーンの接合面が剥き出しのハイブリット感(その歪さ、異物感も捨てがたい魅力ではある)とはちがう、多様なエッセンスが有機的な流れになってどこへともなく運ばれていく感覚があった。それら一連が強度として感知されたのではないかと思う。

未完の遺作である『グッド・バイ』が終わらない「グッド・バイ」を告げ続けるように、バストリオ『グッドバイ』は日々の些事や遠い記憶や歴史に無言の別れを緩やかに送りながら、現実/虚構のどちらでもない場所から目の前の時間と遥か遠くをわずかに照らすような作品だった。タイトルが『グッド・バイ』ではなく『グッドバイ』だったのは別れには良いも悪いもなく、すべて「グッド」なのだから「・」で切り離すことはないという意味がもしも込められていたとしたらそれも納得する。作中とても印象的だったのは幽霊なのだろうか?と幾度か語られる「白い煙のようなもの」の描写。樹海の上空やSNACの向かいの廃屋を漂っていくそのイメージはやさしく温かく(音楽と音響の力も大)、それが主体も意識もなくした生が辿り着くもの、まさに「わからない」現実の正体のように感じられて、その日の舞台や清澄白河の町に現れた人や物のある光景までがやがて「白い煙のようなもの」に変容していくのかもしれないと思っていると、ラストで今野氏が白紙の紙を会場に一枚ずつ舞わせ、橋本和加子が紙飛行機を炎天下の通りの向こうに立つ出演者に向けて飛ばした時に、開演からヤバかった私の涙の表面張力は破れたのだった。徹底して低体温のバストリオではあるけれど、作品強度とともにセンチメントにおいても過去最高レベルだったのではなかろうか。

遊園地再生事業団『ジャパニーズ・スリーピング』以来だった山村麻由美の佇まいと発話の美しさをはじめ、出演した役者さんがみんな良かった。当然ながら彼らも作品と不可分な存在であって、あの日あの時の彼らでなければ『グッドバイ』は別の作品になっていただろう。関係ないけど、不可分といえば、自民党の選挙カーが上演中に大音声で通り過ぎて、乗ってる人たちが会場の私たちに満面の笑顔で手振ってたのおもしろかったなあ。『グッドバイ』(あるいは『グッド・バイ』)には戦後から現在に至る心性も織り込まれていただけに、よくできた風刺のようだった。

バストリオ『グッドバイ』についての以上の感想は昨年ここで長々と書いたマームと飴屋さんの感想にかなり似ている。このブログではたいてい同じことを繰り返し書いていて、おれはもう同じことしか書かないな、同じようにしか感じられないし、書きたいことがないんだな、と、そんなふうに思ってるうちに半年近くも放置してしまったのだけども、それにしてもマームと飴屋さんについての感想のほとんど変相のようになってしまった気がするのは、あの作品が同じ会場で同じように戸を開放して、町も使って上演されたこと以上に、その方法で特に飴屋法水がやろうとしたことと今回のバストリオのやろうとしたことが近いからなのだと手前勝手ながら思っている。





そんなわけでずいぶん間が空きましたが、また日記のように、ボヤキのように、何かの感想のように、あるいは小説のように、気が向いたら書いていきます。

上で7月6日を「炎天下」とか書いてますけど、あれから日々暑さが増している。



なー、ゴマ。7月6日/グッドバイ/暑さ_d0075945_1264022.jpg

# by gomaist | 2013-07-12 01:46 | 演劇


ゴマと日日と音楽と。


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