「ある種のナイーブさ」

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かつて私はずるずるに感傷的な人間だった。
感傷、嫉妬、自己憐憫、自己嫌悪、劣等感。
誰もがそうかどうかは知らないが、
若い日のコントロールできないナイーブさ、
そうしたネガティブな感情は
いま思えば通過儀礼のようなものだったと思う。

そんな黒い感情にどっぷり蹂躙されていた中〜高校の頃、
執行猶予が解けた井上陽水の特集がテレビであった。
「なぜか上海」(1979年)が出た直後。
CFで「お元気ですかぁ」と挨拶する前の陽水は
いまテレビやライブで見るような陽気なおじさんではなく、
まずめったにテレビに出ることはなかったし、
無表情をさらにサングラスで覆い、凍てついた感傷を歌う、
孤高感漂う恐いイメージの人だったのだけれど、
それはともかく、「センチメンタルな曲を歌う人」
というパブリックイメージがあった陽水が番組のなかで
「私はもうセンチメンタリズムを美しいと思わなくなった」
と答えていて、かなり衝撃を受けた記憶がある。
当時の私はセンチメンタリズムを
感受性の感度の尺度と思い込もうとしていたので、
この人はなんでそんなことを言うのだろうと思った。
でもそれからはしばらく
「センチメンタリズムは美しくない」
と言うのが自分のなかの流行りになった。

と、書きたかったのはそんなことじゃなかった。

いきなりそんなことを思い出したのも、
ここ数日、最近の若い人に特有の(と言うと語弊があるけど)
ある種のナイーブさについてなんとなく考えていたからだ。
10代、20代の頃、自分が抱えていた
やっかいなナイーブとは質がちがうみたいだなあ、と。

気の利いたインテリアで統一されていて、
有機野菜を使ったり、料理にもこだわりを見せつつ、
店員も客もみんなしゃれた装いできれいな顔をしていて、
でもなぜだか軽薄な感じがする、
その軽薄さに自分たちでは気づいていないカフェのような。
そんな「鈍感な」ナイーブさ。

鈍感さは若さゆえなのだろうか。それとも。
それがわからなくて、というか、
まあ、わからなくても別にいいんだけど、
なんとなく気になって考えていたのだった。

当たり前のことだけれど、私と同世代の人が
同じオブセッションに苛まれていたわけではないように、
その「ある種のナイーブさ」がいまの10代、20代に
デフォルトのごとく備わっているとはまったく思わないが。

自分のことも省みて、若い日の感傷は醜いと思う。
でも、そうだなあ、60歳以上かなあ、
歳を重ねたうえでの感傷は、近頃なんだか胸に沁みる。
それは、こういう言い方はあまり好きじゃないけど、
年月を重ねて熟成された味が人生にもあることが
なんとなくわかってきてしまったからだと思う。
でも「ある種のナイーブさ」の延長には
その味はないんじゃないかと思いますよ。言いすぎかな。

じつのところ、いまも私は感傷的な人間だったりする。
若き日のそれ以上に、中年の感傷ほど醜いものはない。
いつか味のある感傷を吐ける大人になりたいものだ。

次松大助『Animation for oink, oink!』、
el fog『Rebuilding Vibes』、
Mountains『Sewn』。

なんだかとっちらかったことを書いてしまったが、
外は台風でとっちらかっている。今度こそ上陸か。
やだな、明日。

なー、ゴマ。d0075945_151853.jpg
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by gomaist | 2009-10-08 02:04 | 日日


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