「 これからもまだ私の体とともにある/『マームと飴屋さん』の感想10.1 」


■ 吐き出すように書き継いだ『マームと誰かさん・ふたりめ/飴屋法水さんとジプシー』(以下、『マーム×飴屋』)の感想。言葉の外に出ようなどと大風呂敷を広げてはみたものの、あえて引き延ばした時間が裏目にも出て、結局思い出しつつの確認と解釈に終始してしまい、言葉どころか作品の外にも出られずただ長いだけの感想になってしまったのは残念なことだ。そうなるだろうとは思っていたけどさ、「マーム 飴屋さん」で検索するとこの情報性に乏しい貧弱な内容のブログ記事がずらっと並んでしまうのがさらに申し訳がない。しかし。だ。感想はまだ続くのであった。

■ 『マーム×飴屋』に限らず演劇やライブの会場ではメディアでしか知らない、こちらだけが一方的に存じ上げているアーティストやライターの方をよく見かける。私が観た回ではコーネリアス親子、zAkさん、伊藤ガビンさん、SNACのオーナーなのでたいていいらっしゃるが桜井圭介さんらが客席あるいは会場外にいた。小山田くんが息子の米呂くんと一緒に現れたときはちょっと驚いたが、二人は飴屋法水とライブで共演しているし、米呂くんは昨年飴屋さんが手掛けた『じ め ん』に主演もしているので、いちファンとして私が知っている限りでも繋がりはあって、そうか、来るよな彼らも、とは納得したものの、狭い客席のほんの2メートルほどの正面に座ったコーネリアス親子は観劇中ずっと私の視界に入っていて、ちょっと横を向けば白髪のガビンさんがいるし、会場に入れなかったcob會田洋平さんが道の向かいに見えていたりして、それもまた作品のなかに組み込まれている。

■ たとえば小山田圭吾akaコーネリアスはフリッパーズギターでデビューした1989年からファンとしてずっと作品やライブに接してきて、一方的な関係ではあるにしても23年間の時間がそこには折り重なっていて(六本木WAVEのデビュー盤のコーナー展開とか、会社でいつもかけていたこととか、ライブとか、メディアでの発言とか、CD、ソロの活動、海外での成功とか、オザケンとの関係とか、友人とのコーネリアス談義とか…、書いていったらキリがない)、その人がやはりファンとして聴いてきた嶺川貴子さんとの間に生まれた子どもを横に座らせ、自分と同じ空間にいて、視界のなかで同じ作品を観劇しているとき、彼らがいない場合とは受け止め方はきっとちがっているはずだ。ささいなバイアスかもしれないが観劇しながら小山田くんのことをふと考えてしまうくらいには作品に影響が入っている。会場の戸が外されて会場全体が戸外とつながった『マーム×飴屋』ではそれが「小山田くんと一緒に観ちゃった」というミーハー的なトピックとはまた別の意味合いを帯びてくる。

■ ライブなどで現実に接していたとしても小山田圭吾や多くのミュージシャン、俳優やタレント、あるいは作家も、流通する作品含めてメディアの住人は私にとっては半分虚構の存在だ。ドラえもんのような架空の存在とはさすがに私も大人なので区別はついているが、しかし家族や日常で会う人々と小山田圭吾を現実/虚構のマトリックスに置いたとしたら、小山田圭吾はずっとドラえもんに近いところにいる。そんなドラえもん的小山田圭吾が子連れで同じ客席にいて、舞台にはドラえもんや小山田圭吾よりややこちらに近いマトリックス上にいる飴屋さん(それは同じ客として会場でよく遭遇し娘のくるみちゃんと遊ぶこともあるから)が現実/虚構の狭間を往還する飴屋法水として立っていて、戸外には隣人的日常の人物が野次馬顔で通り過ぎて行く。この現実感の捻れ。境界の溶解。『マーム×飴屋』はそうしたことも巻き込んで自分のなかに着床した作品だった。

■ 入場を待つ間には山川冬樹さんもふらりと来て、飴屋さんと無言で抱き合っていたけれども満席で会場には入れずに帰っていく姿も見た。あるいは開演直前まで米呂くんの膝に座っていたくるみちゃん(くるみちゃんも『じ め ん』に出演していてつまり二人は共演経験がある)が突然「ちょっと遊んでくる」と言って小走りで外に出て行き、上演中は前の道を歩き回っていたり、夜の回を待つ間に飲んでいたとき通りかかったホームレスのおじさん(現実世界の生々しい象徴のようだった)と交流&諍いがあって会場の前で騒ぎ出した彼をなだめて帰したり、飴屋さんが最後に屋根を歩いた路上に停めていたクルマはzAkさんが運んできたもので、元の持ち主はフィッシュマンズの故佐藤くんであると知ったことなど、これらはどこからどこまで作品であって作品ではないのか、その線引きを考えるのはつまらないことに思え、この日観たことや人やもの、さらにはこの日以降に『マーム×飴屋』と結びついたことも、『マーム×飴屋』があらかじめあの会場から流れ出た作品であった以上は作品の一部なのだと考えることにしている。

■ 昼の回を観たあとで、外からも観れることを知り夜の様子を観ることにしたのは何度も書いた。で、SNACに行くといつも寄る縁台を出している肉屋(外飼いの二猫、トンキチ&トンペイがかわいい)の焼き鳥を食べながら酒を飲んでいると、かえる目のフロントマンにして大学教授でもあられる細馬宏通氏akaかえるさんが連れの方と話しながら通り過ぎて行った。「中世社会においては」などとむずかしそうな話をしていたがきっと『マーム×飴屋』の夜の回を観るのだろうと思いつつ、またもドラえもん的存在に出会って小さく興奮していたところ、それも酔っぱらって忘れかけていたのだけれど、焼き鳥の席で知り合った女性が夜の回の開場を待っている人で、終わったあとにもお互いに挨拶して、これから知り合いと近くの居酒屋に行くと誘われたので店に顔を出せば、そこには細馬氏が同席していたのだった。私はかえるさんこと細馬氏のファンでライブにも何度も行っていて、音楽のみならず人間かえるさん(かえるさんと呼ばれている方の人間性ね、ややこしいけど)に魅了され続けてきたので、泥酔しながらもファン心理が前にぐいぐいきてビビりろくに話ができなかったのだけれど、クルマがフィッシュマンズ佐藤くんのものだと知ったのは後日の細馬氏の日記でだった。

■ 6月3日に観て私のなかに着床した『マーム×飴屋』はこのようにずるずると現実に触手を伸ばすかのように出来事を引き寄せながら、2カ月後のいまに至るわけだけれども、まもなく感想はひとまず終えようと思う。10回以上にわたる感想のなかで何度か書いてきたように、入場時のドリンクとして飲んだ缶ビールを皮切りに、15時から23時過ぎまで場所を変えて(ほぼ路上だったけど)飲み続け泥酔した私はSNACまで乗ってきた自転車での帰り道に激しく転倒してしまった。車道から歩道に入る際、ロード仕様の細いタイヤを路肩に引っ掛けてしまい、相当の速度を出していたせいで数メートル体が飛ばされ地面に体を打ち付けた。なんだ、これ、これじゃまるで『マーム×飴屋』の飴屋さんの再現じゃないか。と考える余裕もないほど肘、膝、脇の激痛に耐えながら帰ることになったのだけれど、脇を打ったときに肋骨にヒビでも入ったのか半月以上寝返りも呼吸もつらい痛みは続き、肘と膝には汚い色の痣がいまも消えずに残っている。ずるずるずるずるとあの作品はこれからもまだ私の体とともにある。

■ 『マーム×飴屋』の感想はとりあえず終える。ここで考えたことなどはそろそろ仕上げたい次の小説のようなものにつながっていくだろう。どちらも誰にも求められていないところがなかなかのキホーテっぷりではあるが。知ったこっちゃない。




なー、ゴマ。d0075945_22561273.jpg
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by gomaist | 2012-08-02 23:20 | 演劇


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