「10月になってしまった/バストリオ『Very Story, Very Hungry』感想1 」


■ 9月は一度も更新しないままに10月になってしまった。しかもいまや演劇感想ブログのようになっておりますが、一カ月ぶりの更新も演劇の感想です。前回の記事を書いた日、8月31日に横浜のBankArt Studioで観たバストリオ『Very Story, Very Hungry』

■ BankArt Studioは古い建造物をリノベーションしたアートスペースで、剥き身のコンクリートに巨大な柱、鉄製の扉などから元倉庫か何かかな…となんとなく思いながらこれまでも何度か訪れていたが、1929年に建てられた銀行だったことはたったいま調べて知った。しかし「1953年に竣工された港湾倉庫時代の姿をとどめるコンクリート打放のハードな空間」とホールの説明がサイトにあったので、その後やはり倉庫として使われていたということか。それはともかく、分厚いコンクリート打ちっぱなしの空間に音が反響する上「床面積360㎡、天井高5m」という比較的大きなハコをバストリオは新作公演の場に選んだ(たぶん、「選んだ」のだと思う)。

■ 「選んだ」と仮定してさらに勝手な想像をすれば、ひとつには空間そのものに「物語」を求めたのではないかと思う。時間が蓄積された場の力を作品に付与しようとした、あるいはそうした場で物語ることによる化学反応を意図したのだろう。タイトルにも冠されているように今作のテーマは「物語」。それが物語そのものを物語ることなのか、物語についての物語なのか、物語の批評なのか、それは観るまでわからなかった。ただ前作『Rock And Roll』で「物語」を解体し分断して逆説的に「物語」の可能性を試行して見せた主宰で作演出の今野裕一郎氏は公演後に「次は物語をやります」という意味のことを言っていて、それを私は「物語の中から語る」という意味に取り(あとでまた書くが実際に観終えて主軸はやはりそこにあったのでは、と感じた)、今作の観劇にはそうした期待というか先入観をもって臨んだ。

■ BankArtを選んだ理由と思われるもうひとつは空間の不自然な広さ。私が初めてバストリオを観た前々作『絶対わからない』は千駄木の住宅街にある民家(アパート?工場?)を改築したスペースで、前作『Rock And Roll』は新宿眼科画廊(元病院ではない)というギャラリーだったが、どちらも少し変わった意図的な使い方をしていたのは舞台を横長に設定していた点で、どの位置の席に座っても舞台上で行われていることを同時に視界に収めることができないようになっていた。左端で喋っている役者を見ているときに右の奥に立つ役者の動きを見ることはできないというように、意図的に全景の把握を拒むつくりがなされていた。今作にもおそらくそうした意図があって、組み方によっては通常のように観られる舞台づくりも可能だったはずだがそうはせず、横長に雛壇状の客席を設営した上に客席と並行した横にまで舞台美術があり、しかも巨大な柱数本が演じるスペースとしての舞台に鎮座しているのだから、過去作以上に全景が見えなかったのは当然あえてそうしたのだろう。だから「不自然な広さ」とは通常の舞台作品を基準とした不自然さであって、「人は全景を視ることはできない」舞台外の世界を人工的にそこに出現させるためには自然で必然の選択だったと思われる。(会場は空調が機能せず残暑厳しいなか相当な暑さとなっていて、扇風機の設置や団扇の配布で対応していたがさすがにそれは想定外だったろう。「暑すぎる」という不満の感想も散見した)

■ ここまで会場について書いて、さて本編の話へ、というところでムムム…となった。忘れている。セルバンテス『ドン・キホーテ』の引用というか設定を使って始まった『Very Story, Very Hungry』の、そこからの展開が断片的にしか思い出せない。観たのは一カ月前で、こうして時間が経ってから感想を書こうとしたときにはありがちだが、感想を綴る手がかりがないほどに忘れてしまっている。覚えていることがすべてならその記憶だけで感想を書くか、もしくはわざわざもう書いたりしないのが筋だとも思うが、さらに記憶を手繰り寄せていけば、観劇直後でさえ果たしてどれほどの記憶が残っていたかも怪しいことに気づく。つい先ほど「物語の中から語ることに主軸があった」と核心めいたことを書いたばかりなのにその「物語」を覚えていないというのはどういうことだ、そもそも作り手に対して失礼な話じゃないか。私は上演後の会場で今野氏に「すごくよかった」と意志の強さを感じさせる彼の大きな目を見て言っているのだ。「感想書きます」とにこやかに言い放ちながら実はすでにあの時点で内容をほとんど忘れておりました、ではあまりにもあんまりだ。

■ しかし、この観ているそばから記憶の編み目をするすると抜けていってしまうような、そこに『Very Story, Very Hungry』のおもしろさがあったとしたらどうだろう。忘れしまった言い訳でも後付けの屁理屈でもなく、つかまえたと思った物語や光景は乾いた砂粒のようにみるみる零れ落ちるが、BankArtの空間に激しく反響した台詞や音楽がそうであったように、テキストや役者の身体、ダンス、美術の残響に五感で対峙するような体験が『Very Story, Very Hungry』だったのではないか。そこには演劇作品において「物語」を記述する困難と、それがわかっているからこそ過去作で時間と労力を費やして迂回してきた(ように感じられた)今野氏=バストリオの真摯な態度と格闘が見られるというのは作品の余白(悪く言えば隙)に親切に歩み寄り良きように解釈しすぎだろうか。私には『Very Story, Very Hungry』の「物語」について語ることはできない。もしかしたらあらかじめ語ることはできないものとしてその「物語」は舞台に現れていたかもしれないにしても。しかしたしかに「物語」はあったのだ。

■ また長くなる予感。続きます。記憶は日々薄れてゆくのでなるべくすぐに。



なー、ゴマ。d0075945_2293270.jpg

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by gomaist | 2012-10-02 22:15 | 演劇


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