寺山修司/302号室/飴屋法水


ワタリウム美術館で行われている寺山修司展『ノック』の関連イベントとして、10月27日に行われた飴屋法水『302号室より』を観た。今日はそれについて書きます。本当は「飴屋さん」と書きたいところなのだけれど、やはり馴れ馴れしすぎるので、以下敬称略の「飴屋法水」で統一します。

10月27日日曜日、ワタリウム美術館。飴屋法水『302号室より』の開演は20時。受付が始まった19時40分を過ぎると1階エントランス、雑貨や書籍が並ぶ店内には来場者が徐々に増え、立つ場所にも困るほどの状況に。最終的に招待客含め100人は軽く越えていたのではないか。会場準備が押しているとのことで20時を過ぎてようやく整理番号順に入場。受付時にチケットとして4センチ四方くらいの赤いステッカーが渡され、体の目立つ位置に貼るようスタッフに指示されたそれに記された私の整理番号は009で、優先的に案内された美術館会員の方々に続いて会場に入った。

ワタリウムの寺山修司展にはすでに一度訪れていたが、入場は通常のエレベーターではなく外階段が使われた。イベント会場は2階。中に入ると展示ケースの一部が移動して寄せられ、通常展示にはなかった舞台装置っぽいチャコールグレーの木製ドア。扉面には白いチョークで「302」と雑に書かれている。くぐって左に回るとすぐ手前に照明と映像のスタッフの櫓が組まれ、奥には昔の病院で使用されていたような白い鉄製フレームのベッドがあった。手前には「CAUTION」の黄色いテープが貼られ、そこが客席の前列になるのだろう。まだ客は10名にも満たなかったが椅子席はなく、床に座り始めた他の客に倣い私は2列目に座った。すぐ右横には機材を並べた音響担当のzAk氏がすでに床に座りスタンバイしていた。ベッドの向こう側の隅に山川冬樹さんがいるのにも気づいた。

吹き抜けになっている2階展示室の奥は両側の壁面に渡した巨大な展示パネルが床上2〜4メートルに架かっていて、座ったのはちょうどその真下あたり。飴屋法水がパフォーマンスを行うスペース、ステージとなるのはパネル位置の向こう側の三方が壁になった狭いスペースで、そこにベッド、小さな木製サイドテーブルの上には脱脂綿の入った瓶と医療用金属プレートとカテーテルらしき器具など。手前には座面が樹脂製の白いスツール。ベッドの横には古い型のスピーカーと短波も入るような70〜80年代あたりのラジオ。ベッドの上にはアンテナが斜めに立ったポータブルラジオと、後にハーネスとわかる黒いベルトらしきものが無造作に置かれていた。また奥の壁には銅製灯籠?鐘?寺山作品のセットに使われていそうな物が吊られていたが、それが展示品そのままのものだったか、イベントのために用意されたものかはわからなかった。さらに三方の壁には直接天井桟敷の舞台の様子/役者の特異な図像、寺山の言葉が大きく転写されているがそれは展示時のままのものだ。

会場が混んでくるにつれて場所を詰めた結果、私は最前列へ。CAUTIONのテープは外され、目と鼻の先にサイドテーブル、そしてベッド。しっかり後ろを振り返ることは出来なかったが、相当の客が入っていて後方の人たちがひしめき合うように立っているのはわかった。その時点で20時10分ほどにはなっていただろうか。ベッド脇のラジオから音はかすかに流れていたが、スタッフによる開演中の注意とまもなくの開演という挨拶があってからもなかなか始まらず、もちろん飴屋法水の姿もない。やがて照明が弱く落とされ、チューニングがずれたラジオニュースやクラシック中継(これは会場のどこまで音が届いていたか、おそらく前方列までしか聞こえていなかったのではないか)に重なり地鳴りのようなノイズ、ベッド上のポータブルラジオからもプツプツと音。それだけの状態が10〜15分は続いていたと思う。私は何度も吹き抜けになっている頭上、実質3階の天井にあたる部分が開口していてそこにある機器と時折見える人影を見上げていた。斜め向かいの角隅に座った山川さんもまた時折そちらを見ていて、そこに何かの仕掛けが施されていることが推測できた。

そのときの時間が演出なのか上演が押しているのかわからなかったが、ただ「何も起きていないことが起きていることを強制的に体験させられている」ようにも感じたのはzAk氏による音響が続いていたことと、暗く落とされたベッドの中央で白いライトに照らされた黒のベルトの存在感が増してて見えてきたからだし、「強制的な体験」がすなわち「演劇的」でもあると同時に、寺山の市街劇『ノック』との対照にもなっているのかとも考えていたが、おそらくそれは妄想的な読みで、待つことを相当に苦痛を感じていたのは確かだった。(私はこの日ひどく疲れていて体調も優れなかったのだ。)

これはいったい何が起きているのだろうか?という頃に、下手の壁面の隙間から飴屋さんのパートナーであるころすけさんが足早に現れ、サイドテーブルの上の木皿を取り戻っていった。さらにそれからどれくらい経ったか、5分?10分?その間に別のフロアからだろうか、何度か人の声が響いた。それは独り言のようにも言い争いのようにも聞こえた。やがて先ほどの302のドアをノックする音が聞こえて照明がさらに落ち、ようやく飴屋法水がやや荒々しい足取りで登場した。手にした医療用らしきステンレスボールをベッド下に投げ入れるように置き、もう一方の手に持った本と留められた紙束をベッドにばさりと落とし、そのまま上手へと向かい、壁を背に足を掛けたり体を前後させ腕を振り、軽くステップを踏むような動きをしながら、ベッドの上のそれ、黒いベルトに向かって訥々と語りはじめた。

この時の声、その後も全編ほぼそういう印象だったのだが、特に始まってしばらくは照明が暗く飴屋法水の顔が見えにくかったこともあり、録音された音声かと完全に錯覚した。そうではないと気づいてからも本人の生の声が最前列にいながら聞こえてこないことが不思議だった。それは飴屋法水の独特の発声と声質、音響技術によるものだったのだが、そのせいでまるで飴屋法水はここにいてここにいないようにも感じたし、ここにはいない飴屋法水か別の誰かが飴屋法水の体を介して声を送り込んでいるようにも思えた。

最初のその時に飴屋法水はこのようなことを言った。「そこに何かがいるのはわかっていた/正体を確かめるのが怖かった/それが自分より弱いものであればいいが、もし自分より強い生き物だとしたら簡単にやられてしまう/それは生き物のようでもあり、別の何かのようでもあった/それはすべてのようでもあった/それはそれ以前のようでもあった」(これらの台詞も含め、これからここで引く台詞と描写する動きはすべて記憶の中で変形している可能性がある。しかし変形したほうには寄せず、出来る限り現場で目撃したことに近づけるようには書いてみる。)

ベッドのそれに怯えるように、威嚇するように、挙動不審な様子で飴屋法水はベッドのまわりや上をナイキのスニーカーを履いたまま動きながら語り掛け、ベッドに座った。ここで「それ」の正体を「体に巣食い、腎臓を壊して、死に至らしめる、ネフローゼ」であると明かすのだけれど、そこまで語られたものと「それ」と「ネフローゼ」はまったくのイコールではない。飴屋法水はずっとベルトに向かってベルトでもネフローゼでもありえないことを話し掛けていた。「それ」は死か。人間の生を脅かす何か、その象徴か。そして飴屋法水は「僕は19歳だった」「ここは新宿の病院」「その302号室のベッドにいる」と言った。台詞だけで捉えれば、実際に混合性腎膵炎からネフローゼを患って死にかけたことがあった、20歳前後の寺山修司を飴屋法水は演じている、あるいは演じようとしている。しかしそれは演じているというより、19歳の寺山をイタコの口寄せのように呼び寄せたように見えた。飴屋法水は飴屋法水のまま、同時に19歳の寺山修司でもあった。飴屋法水がいるのは新宿の病院の302号室のベッドの上であり、ワタリウム美術館寺山修司展の展示室であり、まったく別のどこかへの入り口だった。冒頭、私たちは(少なくとも私は)気づいたらそこに迷いこんでいた。

ところで『302号室より』という意味深なタイトルの意味があらかじめ明かされていたことは後になって気づいた。何度も見ていたこのイベントのフライヤーに<ネフローゼを患い、新宿の社会保険中央病院に入院していた頃の寺山修司。1955~58年頃。>とキャプションが付いた寺山修司の写真が最も目につく位置に配されていたのだった。

長くなるので続きはまた明日書きます。




なー、ゴマ。d0075945_202968.jpg

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by gomaist | 2013-10-30 02:20 | 演劇


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