感想続き/302号室/演劇をしようと思う


「明日」が今日になってしまいましたが、ワタリウム美術館で行われている寺山修司展『ノック』の関連イベント飴屋法水『302号室より』の感想続きです。

ベッドに腰を下ろした飴屋法水は台詞を続けながら(「19歳の寺山修司」としての入院生活のことだったか。日々の体調の変化、病気による死への恐怖、何もすることがなく本ばかり読んでいる、といったこと…だったかな)、開場時からベッドの上に置かれていたベルトを体に装着していく。ここで観客はそれがハーネスであったと知るのだけれど、私は事前にツイッターに上がったリハーサル写真ですでに知っていた。フルハーネス安全帯と呼ばれる工事作業員が使う物だ。というよりテレビのバラエティで芸人がリアクション芸で吊るされる時によく見るアレといったほうが馴染みがあるかもしれない。両肩から背中で十字にまわし、両脚の鼠径部と尻を通して、胸と腰で固定するのだが、付け方がむずかしいのだろう、喋りながらスムーズには装着できずに、左肩の部分で大きく捩じれたままのベルトに途中でころすけさんが気づいてそれを直した。

ころすけさんは飴屋さんが現れる直前に再び会場に戻り、最前列の私の隣に座っていた。パフォーマンス中に演者ではない人が介入するのはパフォーマンスの内容や質にもよるがちょっとしたハプニングで、できればそういうことはないほうがいいはずだ。ころすけさんがさっと腰を上げて素早く手を掛けた瞬間に私の緊張感は一気に高まった。細心の注意が必要なことが行われるのだなと感じたのだ。飴屋法水はころすけさんに直してもらった後に「むずかしいね」と小さく笑った。その一瞬だけわずかに綻んだ表情を除けば、いつもの飴屋法水の穏やかさと厳しさが共存した、透徹したようなそれで本人の気負いは見えないが、ベッドの向こう隅に待機するように座っている山川冬樹さんもハーネスを付ける飴屋法水を見守るように見つめていた。

緊張感はその一連の様子を近くで見ていたからだけではなく、黒いハーネスという装置を身につけた姿の異様さにもあった。どの段階だったか忘れてしまったのだけれど、ハーネスを付けた直後ではなく、少し経ってからハーネスに付属したリモコン装置を自ら操作すると、吹き抜けの開口部からワイヤーの先に付いた大きなフックが降りてきて、飴屋法水はそれをハーネスの背部にガチャリと掛けた。見ようによっては拘束着や貞操帯を連想させるそれは寺山修司の演劇作品の舞台美術を思わせた。

装着を終えた飴屋法水は(パフォーマンスがどういう順序で行われたか、流れの記憶がこのあたりからさらに曖昧)たしか腰掛けたまま一冊の本を手に取り「少し読みます」と朗読的に語り始めた。あるいはベッドに横になり、俯せになったり仰向けになったりした後だったかもしれない。その本を読む前には「ナカノ先生に手紙を書いた」というような台詞があったが、「ナカノ先生」とは寺山の青森での恩師である中野トクのことで寺山修司を好きな人であれば存在くらいは知っているかと思う。

飴屋法水が手にした本は寺山修司が中野トクに送った手紙をまとめた『青春書簡』。それをパラパラめくりながら、ランダムに短いセンテンスを読んでいく。ピックアップされたのは入院生活時期の手紙で、「濃紺のトックリのセーターが着たい」とか「おいしい天丼(天蕎麦?)」のこととか、ファッションや食べ物へのこだわり、それから「生きたい」というストレートな言葉。昔読んだはずの『青春書簡』の内容は覚えていないが、文学や思想についてではない、あえて俗な、生活の匂いがある一節、ナマの「生」に密接な言葉が並べられていく。評伝などから窺い知る限り、若いこの時期だけではなく、寺山は俗な面を隠さない人だった。ベッドに座る飴屋法水を介して生活者・寺山修司の姿が現れてくる。

語りを止めた飴屋法水は開いた状態の本をベッド前のスツールの上に置き、靴のままベッドに戻って、寺山修司展の展示である壁面に転写された赤い文字のフレーズを読んだ。「にんげんは、不完全な死体として生まれてきて、一生かかって完全な死体になるんだ。」寺山の残した最も有名な言葉のひとつ。このアフォリズムは生前最後の詩として新聞に掲載された「懐かしの我が家」にも見られるが、それ以前に演劇や映画でも幾度も形を変えて使われている。壁に書かれていたのは「懐かしの我が家」ではなく、たしか演劇作品での台詞の引用だった。(いま引いたフレーズは私の記憶によるものなので、そこに書かれ、飴屋法水が読んだものと若干違っていると思う。)

「にんげんは、不完全な死体として生まれてきて、一生かかって完全な死体になるんだ。」と繰り返し口にしながら、飴屋法水はハーネスに下がったリモコンを握る。モーター音とともにワイヤーが張られ上がっていき、飴屋法水の体が吊られて宙に浮いた。そうなるのはわかっていてもその瞬間の鮮やかさには息を飲んだ。文字通りに息を止めて見ていたと思う。中空で揺れる飴屋法水は全身を脱力させた体勢で脚だけはハの字に開いていた。ただ力を抜いた脱力ではなく「脱力したように見える」体勢を取っていてそれがとても美しい形なのだが、しかし自らのリモコン操作(リモコンは片手に収まるボックス型で操作は指1本で行っていた)で上下する飴屋法水はあたかも死体のような、「不完全な死体」だった。ベッドから数10センチのところで止まったり、数メートル上がってしばらく静止したり。あるいはワイヤーの上下に体を委ねるだけではなく、ベッドの鉄枠の上に舞うように着地させた足を支点に体を大きく傾けたり、つま先がベッドにぎりぎり触れる位置で止まり、かすかに力を加えた足を軸に回転したりする動きも挟まれ、ワイヤー1本で操作されるあやつり人形のように上下して、揺れ、回転する様はダンスのようでもあった。

生身の人間による人形のイメージは、もしかしたらかつて飴屋法水が活動していた東京グランギニョルと天井桟敷を接続させたものかもしれないけれど、私はどちらの舞台も体験していないのでこれは妄想でしかない。また私の位置からは飴屋法水の一挙手一投足、表情や目の開け閉じ、空中でどういう姿勢でいたかまですべて見えていたが、前回書いたようにパフォーマンスのスペースの手前上半分には巨大なパネルがあり、後方からは上昇した飴屋法水の姿が隠れて見えなくなったはずで、パネルの上部は少し空いていたので最も高い位置まで上がれば再び見えていたかと思う。位置によってかなり違ってくる見え方がどこまで意図されていたのかはわからないが、欲をいうと上昇して消える様子も見てみたかった。

ワイヤーによる「不完全な死体」のダンスは徐々に激しさを増す。急上昇と長い静止。ほとんど墜落に近い降下。その繰り返しで飴屋法水の体は重力に揺さぶられ、降下ではベッドや床やサイドテーブルに全身を打ち付けて崩れ、幾度となく頭も直接打っていた。音と振動は直にこちらに伝わり直視できない場面もあった。そうした激しい動きにおいても飴屋法水の体は「脱力」を演じ続け(後半に至ってほぼ目は閉じられていた)、ほとんど無抵抗に上がり下りを繰り返すうちにハーネスがズレて首や腕を圧迫したり、肩から外れそうにもなったので、その度に視界にいる山川冬樹さんが助けに入ろうとしてか身を少し乗り出していたし、隣のころすけさんが歪んだ体勢のまま吊られた飴屋法水を凝視する横顔も目に入り、こちらまで緊張が伝わってきたが、観客として見つめるしかない私もまた体を硬直させていた。しかし硬直しながら興奮もしていて、いま思えば少し大げさかもしれないが、肉体が意思から自由になって(皮肉にも拘束され機械による負荷を与えられることでの自由)肉体そのものとして動く様子に、これほど美しいダンスは見たことがないとも感じたのだった。

飴屋法水はほぼ終始リモコンを操作する時は耳に当てるような位置で持っていた。その姿は何かと通信しているようにも見えたものの、実際的にはあのポーズでいることでスタッフに自分の身の安全を伝えていたのかもしれないとも思った。あの激しい動きを見るとハーネスが首に絡まったまま宙に吊られるような事故もあり得たからで、万が一そんなことになったら下にいる者からは状態がすぐに判断しづらかっただろう。それくらい危険を伴う表現/作品だった。本当に無事でよかったと思う。

この宙吊りの空中パフォーマンスは『302号室より』のハイライトであり中核であったと思うが、作品構成の部分であり、全体の流れの中で断続的に行われた。『青春書簡』の後には寺山修司が書いたラジオドラマの台本が部分的に読まれた。ベッドに俯せになり照明が落とされた中で飴屋法水はマグライトで文字を追った。それは消灯後にも読書を続けた寺山の入院生活の姿かもしれない。あるいはステージの照明が他者の手による自己制御不能な運命的なものだとすれば、自らが手にしたマグライトの小さく強い灯りは主体の意思ともいえる。生へのささやかで強烈な指向性だ。読まれたラジオドラマは寺山が初めて書いた『ジオノ・飛ばなかった男』と『中村一郎』。『中村一郎』は2作目だったと思うが、飛び降り自殺を図った男が落下できずに空中を歩く人間となって騒動を起こす話。どちらも飛翔と落下、空中がモチーフに扱われており、ごく単純に飴屋法水のパフォーマンスはそこから発想したか重ねられたものと考えられるが、一方でラジオドラマを取り上げたのはそれが寺山の短歌と並ぶ最初期の創作活動であったことと、声そのものへの飴屋法水の関心があったのではないか。

前回書いた飴屋法水の声の扱いもそうだし、ラジオのセット、ラジオドラマに続き、さらに寺山修司本人の声が登場する。寺山修司は青森訛のある独特の語りをする人だった。いまでいうテレビのコメンテーターのようなこともしていたのは私もよく見たが、一般的には(特に昭和生まれの者には)寺山修司というとその喋りで思い出す人も多いのではないか。(タモリと三上寛と中村誠一の3人が全員寺山修司になって会話する集団モノマネ、あれおもしろかったな。)飴屋法水は『中村一郎』の台本を朗読する途中で、「ザクさん」と客席側のフロアにいる音響のzAk氏に声を掛け、寺山修司が晩年続けていた谷川俊太郎(谷川俊太郎は学生時代の寺山の才能を発見し、シナリオや作詞の仕事を紹介している。交流は晩年まで続き、寺山の最期を看取った一人でもある。)との往復ビデオレターの上映と音声を流すように頼んだ。その音声にかぶせて『中村一郎』を読む飴屋法水。そして再びの上昇と下降。『中村一郎』の台詞だったか、寺山の別の作品の言葉か、飴屋法水は空中から「不完全な死体」となって何モノかに何度も何度も呼び掛ける。「おーい、おまえは人間かー?」あれはいったい誰に呼び掛けたのか、見る者は自問せざるを得ない呼び声。

最後の空中から着地してハーネスのフックを外しワイヤーを巻き上げる。ハーネスも外しただろうか。ベッドに腰掛けたまま、斜め上のほうに視線を向け、言葉と言葉の間にとても長い間を取りながら飴屋法水は小さな小さな声で言った。「新宿の」「病院の」「302号室」「僕は」「まもなくこの病室を出て」「この病室を出て」「それから」「演劇をしようと思う。」

それは療養を終えた寺山の新たな生の宣言であり、その後の膨大な作品と業績を知っている私たちは一気に時空を翔ぶことになる。事実、演劇をすることになる寺山は、しかし当然ながらもう死んでおり、会場となった展示室の作品の残骸たちにまさにいま私たちは取り囲まれている。そしてこのパフォーマンス作品の台詞としては最後になった「演劇をしようと思う。」これは同時に飴屋法水による自己言及でもあると思った。寺山へのオマージュ作品であると同時に、生者である飴屋法水の体を介して召喚した死者をさらに介することで語り得た普遍的な過去と未来、生と死の肯定。演劇はそういうこと(こういうこと)を観る者の内に出現させることができる、その力を信じる、と言っているように聞こえた。

それから飴屋法水はおもむろに立ち上がり、脚がテープで留められていたベッドを激しい勢いで引き剥がして縦に起こし、寝台が客の方向になるように奥に押して立て、登場時に持ってきたステンレスボールの中に入っていた液体を白いマットにぶちまけた。マット全面に飛び散り線を引いて床へと滴り落ちた薄赤い液体はネフローゼの症状で体内に溜まる腹水のイメージだろう。濡れた床にはクリップで綴じられたコピー紙のラジオドラマの台本やポータブルラジオ、倒れたスツール、病室の小道具などが散乱していて、照明が落ちるとそこから引いた手前には『青春書簡』とベッドをまっすぐに照らすマグライトの光が浮かび上がった。マグライトのあまりにも見事な位置はベッドを立てる時に飴屋法水が置いたのか、偶然その位置になったのか、そこまでは見ていなかった。床に直立したベッドは現実の空間にいきなり投げ込まれた虚構の象徴のように見えたし、寺山修司が試みた虚構による現実の転覆を表現したインスタレーションのようでもあった。

終演後はしばらく呆然として動けなかった。振り返ると思った以上に多くの客がいて、全面ガラスになった階上フロアにもたくさんの人がいた。少し後ろの席にいた飴屋さんの娘、7歳のくるみちゃんが知人の方に抱かれてころすけさんのところへ連れて来られ、見ると眠そうに顔をこすっていた。「がまんしたのにねちゃった…」と申し訳なさそうに言うくるみちゃんの頭をころすけさんは「そっかそっかー」と笑顔でくしゃくしゃに撫でてていた。

あとでツイッター上で鑑賞環境としての不満やほとんど見えていなかったなどのコメントを見た。この感想は最前列で見ることができた数少ない一人として、上演記録の意味も感じて書きました。曖昧で間違っている部分もかなりあると思われる記録ですが。





なー、ゴマ。d0075945_10240.jpg

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by gomaist | 2013-11-02 00:53 | 演劇


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