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感想続き/302号室/演劇をしようと思う


「明日」が今日になってしまいましたが、ワタリウム美術館で行われている寺山修司展『ノック』の関連イベント飴屋法水『302号室より』の感想続きです。

ベッドに腰を下ろした飴屋法水は台詞を続けながら(「19歳の寺山修司」としての入院生活のことだったか。日々の体調の変化、病気による死への恐怖、何もすることがなく本ばかり読んでいる、といったこと…だったかな)、開場時からベッドの上に置かれていたベルトを体に装着していく。ここで観客はそれがハーネスであったと知るのだけれど、私は事前にツイッターに上がったリハーサル写真ですでに知っていた。フルハーネス安全帯と呼ばれる工事作業員が使う物だ。というよりテレビのバラエティで芸人がリアクション芸で吊るされる時によく見るアレといったほうが馴染みがあるかもしれない。両肩から背中で十字にまわし、両脚の鼠径部と尻を通して、胸と腰で固定するのだが、付け方がむずかしいのだろう、喋りながらスムーズには装着できずに、左肩の部分で大きく捩じれたままのベルトに途中でころすけさんが気づいてそれを直した。

ころすけさんは飴屋さんが現れる直前に再び会場に戻り、最前列の私の隣に座っていた。パフォーマンス中に演者ではない人が介入するのはパフォーマンスの内容や質にもよるがちょっとしたハプニングで、できればそういうことはないほうがいいはずだ。ころすけさんがさっと腰を上げて素早く手を掛けた瞬間に私の緊張感は一気に高まった。細心の注意が必要なことが行われるのだなと感じたのだ。飴屋法水はころすけさんに直してもらった後に「むずかしいね」と小さく笑った。その一瞬だけわずかに綻んだ表情を除けば、いつもの飴屋法水の穏やかさと厳しさが共存した、透徹したようなそれで本人の気負いは見えないが、ベッドの向こう隅に待機するように座っている山川冬樹さんもハーネスを付ける飴屋法水を見守るように見つめていた。

緊張感はその一連の様子を近くで見ていたからだけではなく、黒いハーネスという装置を身につけた姿の異様さにもあった。どの段階だったか忘れてしまったのだけれど、ハーネスを付けた直後ではなく、少し経ってからハーネスに付属したリモコン装置を自ら操作すると、吹き抜けの開口部からワイヤーの先に付いた大きなフックが降りてきて、飴屋法水はそれをハーネスの背部にガチャリと掛けた。見ようによっては拘束着や貞操帯を連想させるそれは寺山修司の演劇作品の舞台美術を思わせた。

装着を終えた飴屋法水は(パフォーマンスがどういう順序で行われたか、流れの記憶がこのあたりからさらに曖昧)たしか腰掛けたまま一冊の本を手に取り「少し読みます」と朗読的に語り始めた。あるいはベッドに横になり、俯せになったり仰向けになったりした後だったかもしれない。その本を読む前には「ナカノ先生に手紙を書いた」というような台詞があったが、「ナカノ先生」とは寺山の青森での恩師である中野トクのことで寺山修司を好きな人であれば存在くらいは知っているかと思う。

飴屋法水が手にした本は寺山修司が中野トクに送った手紙をまとめた『青春書簡』。それをパラパラめくりながら、ランダムに短いセンテンスを読んでいく。ピックアップされたのは入院生活時期の手紙で、「濃紺のトックリのセーターが着たい」とか「おいしい天丼(天蕎麦?)」のこととか、ファッションや食べ物へのこだわり、それから「生きたい」というストレートな言葉。昔読んだはずの『青春書簡』の内容は覚えていないが、文学や思想についてではない、あえて俗な、生活の匂いがある一節、ナマの「生」に密接な言葉が並べられていく。評伝などから窺い知る限り、若いこの時期だけではなく、寺山は俗な面を隠さない人だった。ベッドに座る飴屋法水を介して生活者・寺山修司の姿が現れてくる。

語りを止めた飴屋法水は開いた状態の本をベッド前のスツールの上に置き、靴のままベッドに戻って、寺山修司展の展示である壁面に転写された赤い文字のフレーズを読んだ。「にんげんは、不完全な死体として生まれてきて、一生かかって完全な死体になるんだ。」寺山の残した最も有名な言葉のひとつ。このアフォリズムは生前最後の詩として新聞に掲載された「懐かしの我が家」にも見られるが、それ以前に演劇や映画でも幾度も形を変えて使われている。壁に書かれていたのは「懐かしの我が家」ではなく、たしか演劇作品での台詞の引用だった。(いま引いたフレーズは私の記憶によるものなので、そこに書かれ、飴屋法水が読んだものと若干違っていると思う。)

「にんげんは、不完全な死体として生まれてきて、一生かかって完全な死体になるんだ。」と繰り返し口にしながら、飴屋法水はハーネスに下がったリモコンを握る。モーター音とともにワイヤーが張られ上がっていき、飴屋法水の体が吊られて宙に浮いた。そうなるのはわかっていてもその瞬間の鮮やかさには息を飲んだ。文字通りに息を止めて見ていたと思う。中空で揺れる飴屋法水は全身を脱力させた体勢で脚だけはハの字に開いていた。ただ力を抜いた脱力ではなく「脱力したように見える」体勢を取っていてそれがとても美しい形なのだが、しかし自らのリモコン操作(リモコンは片手に収まるボックス型で操作は指1本で行っていた)で上下する飴屋法水はあたかも死体のような、「不完全な死体」だった。ベッドから数10センチのところで止まったり、数メートル上がってしばらく静止したり。あるいはワイヤーの上下に体を委ねるだけではなく、ベッドの鉄枠の上に舞うように着地させた足を支点に体を大きく傾けたり、つま先がベッドにぎりぎり触れる位置で止まり、かすかに力を加えた足を軸に回転したりする動きも挟まれ、ワイヤー1本で操作されるあやつり人形のように上下して、揺れ、回転する様はダンスのようでもあった。

生身の人間による人形のイメージは、もしかしたらかつて飴屋法水が活動していた東京グランギニョルと天井桟敷を接続させたものかもしれないけれど、私はどちらの舞台も体験していないのでこれは妄想でしかない。また私の位置からは飴屋法水の一挙手一投足、表情や目の開け閉じ、空中でどういう姿勢でいたかまですべて見えていたが、前回書いたようにパフォーマンスのスペースの手前上半分には巨大なパネルがあり、後方からは上昇した飴屋法水の姿が隠れて見えなくなったはずで、パネルの上部は少し空いていたので最も高い位置まで上がれば再び見えていたかと思う。位置によってかなり違ってくる見え方がどこまで意図されていたのかはわからないが、欲をいうと上昇して消える様子も見てみたかった。

ワイヤーによる「不完全な死体」のダンスは徐々に激しさを増す。急上昇と長い静止。ほとんど墜落に近い降下。その繰り返しで飴屋法水の体は重力に揺さぶられ、降下ではベッドや床やサイドテーブルに全身を打ち付けて崩れ、幾度となく頭も直接打っていた。音と振動は直にこちらに伝わり直視できない場面もあった。そうした激しい動きにおいても飴屋法水の体は「脱力」を演じ続け(後半に至ってほぼ目は閉じられていた)、ほとんど無抵抗に上がり下りを繰り返すうちにハーネスがズレて首や腕を圧迫したり、肩から外れそうにもなったので、その度に視界にいる山川冬樹さんが助けに入ろうとしてか身を少し乗り出していたし、隣のころすけさんが歪んだ体勢のまま吊られた飴屋法水を凝視する横顔も目に入り、こちらまで緊張が伝わってきたが、観客として見つめるしかない私もまた体を硬直させていた。しかし硬直しながら興奮もしていて、いま思えば少し大げさかもしれないが、肉体が意思から自由になって(皮肉にも拘束され機械による負荷を与えられることでの自由)肉体そのものとして動く様子に、これほど美しいダンスは見たことがないとも感じたのだった。

飴屋法水はほぼ終始リモコンを操作する時は耳に当てるような位置で持っていた。その姿は何かと通信しているようにも見えたものの、実際的にはあのポーズでいることでスタッフに自分の身の安全を伝えていたのかもしれないとも思った。あの激しい動きを見るとハーネスが首に絡まったまま宙に吊られるような事故もあり得たからで、万が一そんなことになったら下にいる者からは状態がすぐに判断しづらかっただろう。それくらい危険を伴う表現/作品だった。本当に無事でよかったと思う。

この宙吊りの空中パフォーマンスは『302号室より』のハイライトであり中核であったと思うが、作品構成の部分であり、全体の流れの中で断続的に行われた。『青春書簡』の後には寺山修司が書いたラジオドラマの台本が部分的に読まれた。ベッドに俯せになり照明が落とされた中で飴屋法水はマグライトで文字を追った。それは消灯後にも読書を続けた寺山の入院生活の姿かもしれない。あるいはステージの照明が他者の手による自己制御不能な運命的なものだとすれば、自らが手にしたマグライトの小さく強い灯りは主体の意思ともいえる。生へのささやかで強烈な指向性だ。読まれたラジオドラマは寺山が初めて書いた『ジオノ・飛ばなかった男』と『中村一郎』。『中村一郎』は2作目だったと思うが、飛び降り自殺を図った男が落下できずに空中を歩く人間となって騒動を起こす話。どちらも飛翔と落下、空中がモチーフに扱われており、ごく単純に飴屋法水のパフォーマンスはそこから発想したか重ねられたものと考えられるが、一方でラジオドラマを取り上げたのはそれが寺山の短歌と並ぶ最初期の創作活動であったことと、声そのものへの飴屋法水の関心があったのではないか。

前回書いた飴屋法水の声の扱いもそうだし、ラジオのセット、ラジオドラマに続き、さらに寺山修司本人の声が登場する。寺山修司は青森訛のある独特の語りをする人だった。いまでいうテレビのコメンテーターのようなこともしていたのは私もよく見たが、一般的には(特に昭和生まれの者には)寺山修司というとその喋りで思い出す人も多いのではないか。(タモリと三上寛と中村誠一の3人が全員寺山修司になって会話する集団モノマネ、あれおもしろかったな。)飴屋法水は『中村一郎』の台本を朗読する途中で、「ザクさん」と客席側のフロアにいる音響のzAk氏に声を掛け、寺山修司が晩年続けていた谷川俊太郎(谷川俊太郎は学生時代の寺山の才能を発見し、シナリオや作詞の仕事を紹介している。交流は晩年まで続き、寺山の最期を看取った一人でもある。)との往復ビデオレターの上映と音声を流すように頼んだ。その音声にかぶせて『中村一郎』を読む飴屋法水。そして再びの上昇と下降。『中村一郎』の台詞だったか、寺山の別の作品の言葉か、飴屋法水は空中から「不完全な死体」となって何モノかに何度も何度も呼び掛ける。「おーい、おまえは人間かー?」あれはいったい誰に呼び掛けたのか、見る者は自問せざるを得ない呼び声。

最後の空中から着地してハーネスのフックを外しワイヤーを巻き上げる。ハーネスも外しただろうか。ベッドに腰掛けたまま、斜め上のほうに視線を向け、言葉と言葉の間にとても長い間を取りながら飴屋法水は小さな小さな声で言った。「新宿の」「病院の」「302号室」「僕は」「まもなくこの病室を出て」「この病室を出て」「それから」「演劇をしようと思う。」

それは療養を終えた寺山の新たな生の宣言であり、その後の膨大な作品と業績を知っている私たちは一気に時空を翔ぶことになる。事実、演劇をすることになる寺山は、しかし当然ながらもう死んでおり、会場となった展示室の作品の残骸たちにまさにいま私たちは取り囲まれている。そしてこのパフォーマンス作品の台詞としては最後になった「演劇をしようと思う。」これは同時に飴屋法水による自己言及でもあると思った。寺山へのオマージュ作品であると同時に、生者である飴屋法水の体を介して召喚した死者をさらに介することで語り得た普遍的な過去と未来、生と死の肯定。演劇はそういうこと(こういうこと)を観る者の内に出現させることができる、その力を信じる、と言っているように聞こえた。

それから飴屋法水はおもむろに立ち上がり、脚がテープで留められていたベッドを激しい勢いで引き剥がして縦に起こし、寝台が客の方向になるように奥に押して立て、登場時に持ってきたステンレスボールの中に入っていた液体を白いマットにぶちまけた。マット全面に飛び散り線を引いて床へと滴り落ちた薄赤い液体はネフローゼの症状で体内に溜まる腹水のイメージだろう。濡れた床にはクリップで綴じられたコピー紙のラジオドラマの台本やポータブルラジオ、倒れたスツール、病室の小道具などが散乱していて、照明が落ちるとそこから引いた手前には『青春書簡』とベッドをまっすぐに照らすマグライトの光が浮かび上がった。マグライトのあまりにも見事な位置はベッドを立てる時に飴屋法水が置いたのか、偶然その位置になったのか、そこまでは見ていなかった。床に直立したベッドは現実の空間にいきなり投げ込まれた虚構の象徴のように見えたし、寺山修司が試みた虚構による現実の転覆を表現したインスタレーションのようでもあった。

終演後はしばらく呆然として動けなかった。振り返ると思った以上に多くの客がいて、全面ガラスになった階上フロアにもたくさんの人がいた。少し後ろの席にいた飴屋さんの娘、7歳のくるみちゃんが知人の方に抱かれてころすけさんのところへ連れて来られ、見ると眠そうに顔をこすっていた。「がまんしたのにねちゃった…」と申し訳なさそうに言うくるみちゃんの頭をころすけさんは「そっかそっかー」と笑顔でくしゃくしゃに撫でてていた。

あとでツイッター上で鑑賞環境としての不満やほとんど見えていなかったなどのコメントを見た。この感想は最前列で見ることができた数少ない一人として、上演記録の意味も感じて書きました。曖昧で間違っている部分もかなりあると思われる記録ですが。





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by gomaist | 2013-11-02 00:53 | 演劇

寺山修司/302号室/飴屋法水


ワタリウム美術館で行われている寺山修司展『ノック』の関連イベントとして、10月27日に行われた飴屋法水『302号室より』を観た。今日はそれについて書きます。本当は「飴屋さん」と書きたいところなのだけれど、やはり馴れ馴れしすぎるので、以下敬称略の「飴屋法水」で統一します。

10月27日日曜日、ワタリウム美術館。飴屋法水『302号室より』の開演は20時。受付が始まった19時40分を過ぎると1階エントランス、雑貨や書籍が並ぶ店内には来場者が徐々に増え、立つ場所にも困るほどの状況に。最終的に招待客含め100人は軽く越えていたのではないか。会場準備が押しているとのことで20時を過ぎてようやく整理番号順に入場。受付時にチケットとして4センチ四方くらいの赤いステッカーが渡され、体の目立つ位置に貼るようスタッフに指示されたそれに記された私の整理番号は009で、優先的に案内された美術館会員の方々に続いて会場に入った。

ワタリウムの寺山修司展にはすでに一度訪れていたが、入場は通常のエレベーターではなく外階段が使われた。イベント会場は2階。中に入ると展示ケースの一部が移動して寄せられ、通常展示にはなかった舞台装置っぽいチャコールグレーの木製ドア。扉面には白いチョークで「302」と雑に書かれている。くぐって左に回るとすぐ手前に照明と映像のスタッフの櫓が組まれ、奥には昔の病院で使用されていたような白い鉄製フレームのベッドがあった。手前には「CAUTION」の黄色いテープが貼られ、そこが客席の前列になるのだろう。まだ客は10名にも満たなかったが椅子席はなく、床に座り始めた他の客に倣い私は2列目に座った。すぐ右横には機材を並べた音響担当のzAk氏がすでに床に座りスタンバイしていた。ベッドの向こう側の隅に山川冬樹さんがいるのにも気づいた。

吹き抜けになっている2階展示室の奥は両側の壁面に渡した巨大な展示パネルが床上2〜4メートルに架かっていて、座ったのはちょうどその真下あたり。飴屋法水がパフォーマンスを行うスペース、ステージとなるのはパネル位置の向こう側の三方が壁になった狭いスペースで、そこにベッド、小さな木製サイドテーブルの上には脱脂綿の入った瓶と医療用金属プレートとカテーテルらしき器具など。手前には座面が樹脂製の白いスツール。ベッドの横には古い型のスピーカーと短波も入るような70〜80年代あたりのラジオ。ベッドの上にはアンテナが斜めに立ったポータブルラジオと、後にハーネスとわかる黒いベルトらしきものが無造作に置かれていた。また奥の壁には銅製灯籠?鐘?寺山作品のセットに使われていそうな物が吊られていたが、それが展示品そのままのものだったか、イベントのために用意されたものかはわからなかった。さらに三方の壁には直接天井桟敷の舞台の様子/役者の特異な図像、寺山の言葉が大きく転写されているがそれは展示時のままのものだ。

会場が混んでくるにつれて場所を詰めた結果、私は最前列へ。CAUTIONのテープは外され、目と鼻の先にサイドテーブル、そしてベッド。しっかり後ろを振り返ることは出来なかったが、相当の客が入っていて後方の人たちがひしめき合うように立っているのはわかった。その時点で20時10分ほどにはなっていただろうか。ベッド脇のラジオから音はかすかに流れていたが、スタッフによる開演中の注意とまもなくの開演という挨拶があってからもなかなか始まらず、もちろん飴屋法水の姿もない。やがて照明が弱く落とされ、チューニングがずれたラジオニュースやクラシック中継(これは会場のどこまで音が届いていたか、おそらく前方列までしか聞こえていなかったのではないか)に重なり地鳴りのようなノイズ、ベッド上のポータブルラジオからもプツプツと音。それだけの状態が10〜15分は続いていたと思う。私は何度も吹き抜けになっている頭上、実質3階の天井にあたる部分が開口していてそこにある機器と時折見える人影を見上げていた。斜め向かいの角隅に座った山川さんもまた時折そちらを見ていて、そこに何かの仕掛けが施されていることが推測できた。

そのときの時間が演出なのか上演が押しているのかわからなかったが、ただ「何も起きていないことが起きていることを強制的に体験させられている」ようにも感じたのはzAk氏による音響が続いていたことと、暗く落とされたベッドの中央で白いライトに照らされた黒のベルトの存在感が増してて見えてきたからだし、「強制的な体験」がすなわち「演劇的」でもあると同時に、寺山の市街劇『ノック』との対照にもなっているのかとも考えていたが、おそらくそれは妄想的な読みで、待つことを相当に苦痛を感じていたのは確かだった。(私はこの日ひどく疲れていて体調も優れなかったのだ。)

これはいったい何が起きているのだろうか?という頃に、下手の壁面の隙間から飴屋さんのパートナーであるころすけさんが足早に現れ、サイドテーブルの上の木皿を取り戻っていった。さらにそれからどれくらい経ったか、5分?10分?その間に別のフロアからだろうか、何度か人の声が響いた。それは独り言のようにも言い争いのようにも聞こえた。やがて先ほどの302のドアをノックする音が聞こえて照明がさらに落ち、ようやく飴屋法水がやや荒々しい足取りで登場した。手にした医療用らしきステンレスボールをベッド下に投げ入れるように置き、もう一方の手に持った本と留められた紙束をベッドにばさりと落とし、そのまま上手へと向かい、壁を背に足を掛けたり体を前後させ腕を振り、軽くステップを踏むような動きをしながら、ベッドの上のそれ、黒いベルトに向かって訥々と語りはじめた。

この時の声、その後も全編ほぼそういう印象だったのだが、特に始まってしばらくは照明が暗く飴屋法水の顔が見えにくかったこともあり、録音された音声かと完全に錯覚した。そうではないと気づいてからも本人の生の声が最前列にいながら聞こえてこないことが不思議だった。それは飴屋法水の独特の発声と声質、音響技術によるものだったのだが、そのせいでまるで飴屋法水はここにいてここにいないようにも感じたし、ここにはいない飴屋法水か別の誰かが飴屋法水の体を介して声を送り込んでいるようにも思えた。

最初のその時に飴屋法水はこのようなことを言った。「そこに何かがいるのはわかっていた/正体を確かめるのが怖かった/それが自分より弱いものであればいいが、もし自分より強い生き物だとしたら簡単にやられてしまう/それは生き物のようでもあり、別の何かのようでもあった/それはすべてのようでもあった/それはそれ以前のようでもあった」(これらの台詞も含め、これからここで引く台詞と描写する動きはすべて記憶の中で変形している可能性がある。しかし変形したほうには寄せず、出来る限り現場で目撃したことに近づけるようには書いてみる。)

ベッドのそれに怯えるように、威嚇するように、挙動不審な様子で飴屋法水はベッドのまわりや上をナイキのスニーカーを履いたまま動きながら語り掛け、ベッドに座った。ここで「それ」の正体を「体に巣食い、腎臓を壊して、死に至らしめる、ネフローゼ」であると明かすのだけれど、そこまで語られたものと「それ」と「ネフローゼ」はまったくのイコールではない。飴屋法水はずっとベルトに向かってベルトでもネフローゼでもありえないことを話し掛けていた。「それ」は死か。人間の生を脅かす何か、その象徴か。そして飴屋法水は「僕は19歳だった」「ここは新宿の病院」「その302号室のベッドにいる」と言った。台詞だけで捉えれば、実際に混合性腎膵炎からネフローゼを患って死にかけたことがあった、20歳前後の寺山修司を飴屋法水は演じている、あるいは演じようとしている。しかしそれは演じているというより、19歳の寺山をイタコの口寄せのように呼び寄せたように見えた。飴屋法水は飴屋法水のまま、同時に19歳の寺山修司でもあった。飴屋法水がいるのは新宿の病院の302号室のベッドの上であり、ワタリウム美術館寺山修司展の展示室であり、まったく別のどこかへの入り口だった。冒頭、私たちは(少なくとも私は)気づいたらそこに迷いこんでいた。

ところで『302号室より』という意味深なタイトルの意味があらかじめ明かされていたことは後になって気づいた。何度も見ていたこのイベントのフライヤーに<ネフローゼを患い、新宿の社会保険中央病院に入院していた頃の寺山修司。1955~58年頃。>とキャプションが付いた寺山修司の写真が最も目につく位置に配されていたのだった。

長くなるので続きはまた明日書きます。




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by gomaist | 2013-10-30 02:20 | 演劇

7月6日/グッドバイ/暑さ


7月6日。東京の最高気温は34℃でその時はそんなことは知らなかったけど、陽射しはまっすぐで強く、34℃あったと言われればそうだったかもしれないと納得するほどには暑くて、戸が開け放たれた清澄白河SNAC前の一方通行の道は白く光って人通りは多かった。バストリオの新作『グッドバイ』は会場と空間的に隔たりのない戸外を使って上演されたが、これまでもバストリオは毎回場所を変えながらそれぞれに固有の空間性を常に組み込んだ作品を作ってきたし、上演環境と作品内容が不可分であるということは取り立てて特殊性をもたらすものではなく、舞台表現の一回性を自明として、作品の質感のようなものを現前させることに取り組んでいると思われるバストリオにとっては、空間の扱いや「舞台/客席」=「演者/観客」に生成する関係は舞台上で行われる行為と同列で変数として作品に組み込まれてしかるべきものであって、もはや特筆される要素ではないのだけれど、そのこと自体がバストリオの特有性を作品へのとっかかりにおいてはわかりやすく示しているかもしれない。

バストリオを語ることはむずかしい。それは言葉でつかみとれるようなことを彼らがしていないからだ。過去には『絶対わからない』という態度表明のような作品があったが(頭で理解するという意味ではほんとにほとんどわからなかった:笑)、わからないことをわからないまま提示すること、つまりわからないことこそが表現すべきものであり、わからないことをわかるようにするのが目的ではなく、わかることの価値より、わからないことの価値に依拠しながら、そのわからなさを表現によって現前させ、観客に感覚させ、現実に接続することで、表現という回路を通じて現実の正体に肉薄すること。そして生の肯定の在処を探ること。それがこれまで観てきた数作の舞台作品(バストリオは映像作品もある。観てないけど)に共通して感じたバストリオの目指していることだ。現実のすべてをわかることなんて誰にもできない。だからこそおもしろい。生まれて生きて死ぬだけ、それが現実のすべてだ、という境地に身を置いていられない人たちがじたばたしながら、人間と現実について、私とあなたと世界のあれこれについて、生きることについて、考え、全身で表現している。その「現れ」がおもしろいし、僭越ながら共感もする。出題と正解で成立するクイズみたいな現実にしか興味がない人にバストリオはまったくおもしろくないのだろうと思うが、クイズで解ける世界像と解けない世界像のどちらがよいのか、私にはわからないし、どちらがよいかわかって正解を出すことがそもそもクイズ側の考え方だから否定も肯定もしない。

今作の『グッドバイ』もまた本質に変わりはなく、関連性があるような、ないような、シーンやセリフ、ダンス的な身体表現、小道具使いの断片からなるつくりも、これまでのバストリオ作品に見られた表面的な特質においても大きく変わるところはなかった。ただ、上演開始と同時に「跳ねた」感覚が、体を実際にぐいっとつかまれたような強さでもって走り、その予感に近いものは水が溢れるぎりぎりの表面張力のようなテンションで終演まで、終演後までも持続していた。過去最高の作品強度だったと思う。そこに達したひとつはシンプルなフレームにあったのではないか。出演者が外から会場に入って来て横一列に並び、実名で紹介されるところから上演は始まるが、会場を戸外に開放した形態とともにここで示される現実/虚構の境界を外したフレームは、本作と原作である太宰治『グッド・バイ』との関係、さらに『グッド・バイ』作品世界と太宰治=津島修治との関係に重ねられる。大きな方向を見せた上で予想される多層性に期待を煽られる導入は「いったいこれは…」とつかみどころを探りながら謎が増殖していくこれまでのバストリオ作品との違いを感じさせた。

そのフレーム(というほどの明確なものではなく、現実/虚構を往還し境界を無効化する方法とでもいうか)の中で、出演者の日記(格助詞が抜かれた文として)が読まれたり、マッチが擦られたり、言葉や記号が紙に書かれて貼られたり、小銭が撒かれたり、時間の流れを引き伸ばすようなダンスやコミュニケーションのカリカチュアのようなダンスが行われたり床に転がったり、誰かの記憶が語られたり、水が注がれたり、水を飲んだり吐いたり浴びたりして、水のイメージは樹海の描写から生命をめぐる話を経て川のイメージにもつながって、太宰の入水が暗示されたり、唐突に漫才が挿入されたり(あの「焼き」のネタはフットボールアワーに似たものがある)、出演者は町へ出てしばらく歩いて戻ったり、通りの向こうに立ち(出演者がそこに立つ時、会場内にはない劇的な虚構が立ち上がる。彼らは異界の者のようにも見え、クルマや人の行き交う道が異界との分水嶺になる。そして彼ら異界からの視線と声が交通することによって会場は町の中に出現した異界に変容し、観客は会場にいながら偏在して俯瞰する者になる)、または入り口前のベンチに座り、会場内を見ていたりする(その姿はここと異界を俯瞰する観客と近似する)のだけれど、それら断片の関連性は先ほども書いたように明白ではない。

明白ではないのだけれど、予想以上に原作のテキストがそのまま使われるシーンが多く(とはいえ、原作の舞台化とも引用ともちがう扱いになっている。主人公<田島>の代理として配された原作には登場しない<X>とは<田島>の分身であり操り師である太宰か、作品世界に介入した不特定多数の読者か観客である我々か、『グッド・バイ』を虚構から現実に引きずり出した今野裕一郎か、それとも現実そのものか)全体を貫通していたことと、それとの相互作用もあってか、シーンやセリフが研磨されて無駄がなく(ノイズがないという意味ではなく、精度が高い、純度が高いという意味で、前作『点滅、フリー、発光体』での達成をさらに更新していたと思う)、すべてがフレームの内外へ乱反射していた印象があり、さらに音楽とフィールドレコーディングの音響がシーンを紡ぐように作品のトーンを浮かび上がらせていたことで、これまでのバストリオに多く見られたシーンの接合面が剥き出しのハイブリット感(その歪さ、異物感も捨てがたい魅力ではある)とはちがう、多様なエッセンスが有機的な流れになってどこへともなく運ばれていく感覚があった。それら一連が強度として感知されたのではないかと思う。

未完の遺作である『グッド・バイ』が終わらない「グッド・バイ」を告げ続けるように、バストリオ『グッドバイ』は日々の些事や遠い記憶や歴史に無言の別れを緩やかに送りながら、現実/虚構のどちらでもない場所から目の前の時間と遥か遠くをわずかに照らすような作品だった。タイトルが『グッド・バイ』ではなく『グッドバイ』だったのは別れには良いも悪いもなく、すべて「グッド」なのだから「・」で切り離すことはないという意味がもしも込められていたとしたらそれも納得する。作中とても印象的だったのは幽霊なのだろうか?と幾度か語られる「白い煙のようなもの」の描写。樹海の上空やSNACの向かいの廃屋を漂っていくそのイメージはやさしく温かく(音楽と音響の力も大)、それが主体も意識もなくした生が辿り着くもの、まさに「わからない」現実の正体のように感じられて、その日の舞台や清澄白河の町に現れた人や物のある光景までがやがて「白い煙のようなもの」に変容していくのかもしれないと思っていると、ラストで今野氏が白紙の紙を会場に一枚ずつ舞わせ、橋本和加子が紙飛行機を炎天下の通りの向こうに立つ出演者に向けて飛ばした時に、開演からヤバかった私の涙の表面張力は破れたのだった。徹底して低体温のバストリオではあるけれど、作品強度とともにセンチメントにおいても過去最高レベルだったのではなかろうか。

遊園地再生事業団『ジャパニーズ・スリーピング』以来だった山村麻由美の佇まいと発話の美しさをはじめ、出演した役者さんがみんな良かった。当然ながら彼らも作品と不可分な存在であって、あの日あの時の彼らでなければ『グッドバイ』は別の作品になっていただろう。関係ないけど、不可分といえば、自民党の選挙カーが上演中に大音声で通り過ぎて、乗ってる人たちが会場の私たちに満面の笑顔で手振ってたのおもしろかったなあ。『グッドバイ』(あるいは『グッド・バイ』)には戦後から現在に至る心性も織り込まれていただけに、よくできた風刺のようだった。

バストリオ『グッドバイ』についての以上の感想は昨年ここで長々と書いたマームと飴屋さんの感想にかなり似ている。このブログではたいてい同じことを繰り返し書いていて、おれはもう同じことしか書かないな、同じようにしか感じられないし、書きたいことがないんだな、と、そんなふうに思ってるうちに半年近くも放置してしまったのだけども、それにしてもマームと飴屋さんについての感想のほとんど変相のようになってしまった気がするのは、あの作品が同じ会場で同じように戸を開放して、町も使って上演されたこと以上に、その方法で特に飴屋法水がやろうとしたことと今回のバストリオのやろうとしたことが近いからなのだと手前勝手ながら思っている。





そんなわけでずいぶん間が空きましたが、また日記のように、ボヤキのように、何かの感想のように、あるいは小説のように、気が向いたら書いていきます。

上で7月6日を「炎天下」とか書いてますけど、あれから日々暑さが増している。



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by gomaist | 2013-07-12 01:46 | 演劇

「 不確定な世界に想像力で根拠を与えること/バストリオ『Very Story, Very Hungry』感想4 」


■ もちろんそうです。バストリオ『Very Story, Very Hungry』感想の続きです。前回、新展開があり台本を読んだらまた書く、と書いたのだけれど、台本はまだ読んでいないし手元にもない。でもこうして続きを書き出しているのは「このまま続きが読んでみたい」というリクエストをさる方面からいただいたからだ。こうなるとモチベーションはそちらに向けて書くということになってしまうところだがそうはしない。「もう少々このまま書きたいこともあった」それを淡々と書いてみる。現在東京では池袋をメインエリアに「フェスティバルトーキョー」という年に一度の演劇フェスティバルが開催されており、私も祭り気分に浮かされて11月は週に2〜3本のペースで演劇作品を観る予定で、前回の記事を書いた11月1日以降すでに6つの作品を観た。すぐに影響を受けて揺れる思いはベクトルを変えた『Very Story, Very Hungry』の感想にも及んでしまうはずで、8月終わりに観た作品の感想にはすでに観た時点以降のいろいろが混ざり込んでおり、これ以上事後情報を差し込んでいったら何がなんだかわからなくなってしまう。私が。なので11月1日時点で書き残したことを書きます。

■ 『Very Story, Very Hungry』はバストリオが「物語」に正面から取り組み、「物語」の中から語り、インターフェイスとしての物語を描いた、ということはすでに書いた。<「物語」の中から語る>というのは俯瞰からの「物語」の批評性が優位になる語りではなく、物語による「物語」として、つまりバストリオとして描いた物語がちゃんとあった上で「物語」について考えさせる構造になっていたということだ。もはや壊れてしまった「物語」を解体して批評してみせても虚しい。不毛だ。いま「物語」に取り組むとしたら、自ら物語を語り出さなければいけない。そうでなければ失われた「物語」を取り戻すことはできないだろう。「物語」とは関係性を信じる力だと思う。不確定な世界に想像力で根拠を与えること。だから(たぶん)バストリオは「物語」を中から語ってみせた。

■ それがインターフェイスとしての物語になったのは現前性、一回性を特性として持つ舞台表現に真摯な結果だし、単純に感情移入によってパッケージ化できるメディアとしての物語に作家の今野氏が「物語」の可能性を見ていないからだろうか。勝手に「インターフェイスとしての物語」などと決めつけておいてこんな言い方もへんかもしれないけれど。ただ、<「物語」とは関係性を信じる力>といま書いたことにそれなりの理があるとしたら、一見支離滅裂に見えるランダムな事象を物語として提示し受け手に紡がせる方法、舞台に出現したものを接触面として受け手と作り手が現場で物語を構築することを目指したように私には見えた『Very Story, Very Hungry』の方法は至極真っ当に思える。その道筋には再び「物語」を手に出来る可能性が見える。あれ以上わかるように作り手から物語を提示されてしまっていたら興醒めだったと思う。ああ、いわゆる壊れる前の「物語」ね、と感じていただろう。私は共感を求めてくる物語を信じない。

■ タイトルにもうひとつ含まれたVeryの“Hungry”。その象徴として「牛乳が飲みたい」という欲が置かれていたが、それは言うまでもなく生きることそのもの、生の実感であり、生を支えるものであり、生活のことだ。当たり前の生活をすることへの欲求、それはなぜ「物語」を奪還しなければならないか、なぜ関係性を信じ、世界に根拠を与えなければならないかということの根源にあるものだろう。そこを押さえていることに最も感動させられた。『Very Story, Very Hungry』、「物語」への態度を示したとても良いタイトルだと思った。

■ 以下、まとまらなかったことをランダムに。

■ そう。引用された聖書のことが気になっていたのだ。THE物語である聖書とTHE小説である(読んでないけど)『ドン・キホーテ』。様々な動物たちが登場したがあれはノアの方舟を示唆していたのではないか。町は約束の地か。

■ 音と音楽のこと。役者が走り回る音や橋本さんが鉄扉に体当たりする音。会場に響く残響が手探りで進む物語と絡み合って聞こえた。消えていってしまうものを引き止めるように。『Rock and Roll』でも担当されていた杉本桂一氏の音楽は前作以上に劇作と深く関わり合っていていよいよバストリオ準メンバーかというくらいにきまっていた。会場の音の反響はさぞ大変だっただろうと想像したがそれを感じさせないディレクション。そしてオープニングの曲のかっこよさ。演劇はオープニングが良し悪しを大きく左右すると思っている。杉本さんは飄々としていて作る音が凄いのがほんとにかっこいい。

■ ダンスのこと。唐突に挿入されるダンスは楽しかったし、構成上のアクセントとしても効いていた。好みでいうと台詞劇に挿入されるダンスは苦手なのだけれど、なんというか、けなげさが見えて良かった。というのは演じている方々に失礼な言い方になりますけど、そこには制度に搦めとられないリアルな身体があった。とくに男女のデュオのようになった官能的に絡み合う動きにはかなり惹かれた。あのシーンを拡大して小品にしてほしいくらい素晴らしかった。

■ というわけで『Very Story, Very Hungry』の感想は以上になります。いずれ台本を読んだときにまた答え合わせのような感想を書かせていただきます。たぶん。

■ iPhoneで撮った写真が逆さまになってしまう現象にちょっとだけ困っている。



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by gomaist | 2012-11-11 01:16 | 演劇

「 扇情とは別の/バストリオ『Very Story, Very Hungry』感想3 」


■ 『Very Story, Very Hungry』における『ドン・キホーテ』は水面下に潜るようにしてその後次々と脈絡なく立ち現れる物語の断片の隙間から時折顔を出し、それら断片を相互に繋ぎ合わせるようにしながら作品は進行していく。<ドン・キホーテ>が目指す町、理想郷を思わせる土地で暮らす人や動物たち、男女、聖書の一節の朗読(そう、もうひとつの大きな物語として引用されたのは聖書だったのだ)、個人の記憶などが一人数役の役者によってバラバラに現れるのは前作『Rock and Roll』を思わせる語り口だが、断片が断片のまま放り投げられたものもありつつ、前作とちがうのはたとえば直接関連を持たない断片と断片の台詞が符号してパッチワーク状に、あるいは飛び石を渡って岸に向かうように、あるいは空に散った星の光が結ばれ星座を描くように、敢えて強い筆圧の輪郭ではない軌跡によって物語は紡がれていった(と思う)点だ。物語ることが大小の弧を描き、生きることの実感に触れたり触れなかったりしながらラスト、暗転後に下手から舞台の中央に静かに歩み出てきた役者が様々なシーンの台詞に繰り返し登場していた牛乳の瓶をゆっくりと一息に飲み干す。私はその物語を持ち帰ることが出来なかったが(忘れちゃったから)、あの場で受けた感銘はいまも記憶に残っている。

■ 少々話は迂回しますが。私自身このブログでも特に震災と原発事故(福島第一原子力発電所の事故は東北地方太平洋沖地震と関連はあっても一括りにしてはいけない)が起きてから「希望」という言葉をしばしば書いてきた。ある音楽の感想で「希望がある」とか人々の言動に触れて「希望を感じた」とかなんとか、そんな感じで。しかしいま現在、安易に「希望」などと言いたくはない気持ちでいる。そもそも失うほどの希望がそれまでの自分にあったのか、あの日以来希望を失ったのかどうか怪しいし、希望があるから生きているのか、ではなかったらどうなるのか、死ぬのか、死んだとして、命を奪うほどの希望のありようにも実感を持てなくなっている。いま「希望」という言葉には免罪符的な耳障りのよさと「まあ、なんかわかんないけどうまくいくんじゃね?」というごくごく軽い意味合いしか見いだせない。そこに持たせようとしていた重力とはずいぶんかけ離れてしまった(最初からかけ離れていたんだろうけど)と感じている。

■ 9月に神奈川芸術劇場で観た快快の『りんご』も「物語」についての物語、舞台だった。『りんご』についてはいろいろ思うところがあったがここでは書かない。そのなかで作品のコンセプトであり、メッセージの核であったとも思えた、キーとなる台詞に<物語には希望がある>というものがあった。『りんご』もまた「物語」を舞台で記述することへの意識的な挑戦であり宣言でもある作品だったのだが、しかし、いやいやそれにしたってそれは口にしてはだめなんじゃないかと思ったのだ。私はいますぐ死にはしない。少なくとも1時間後、明日、明後日、来週、来月くらいは生きているだろう。そうなんとなく信じていること。それもまた「物語」だとしたら、人は「物語」なしには生きていけないというのはそうかもしれない。きっとそうだ。人は「物語」に生かされている。だから<物語には希望がある>(と信じたい)のはわかるが実態のない「希望」は実態のない何かで表現すべきだ。「愛がある」と、「愛してる」と、いくら言葉にしてみたところで愛の証明にはならないのと同じように。それでも「愛してる」と繰り返すカサヴェテス『こわれゆく女』でのピーター・フォークは愛の不在に怯えて頼るものが言葉しかないから空しい「愛してる」を、愛の自家中毒によってこわれてゆくジーナ・ローランズに繰り返し、抱きしめ、その痛々しくも滑稽な姿が胸を打つのだし、園子温『希望の国』のタイトルに見る反語的な「希望」もまた希望がないことを前提として成立するものであって、作中で神楽坂恵が言う「愛があるからだいじょうぶ」もまったく根拠がない、ただそれでもそう言うしかない切実さにこそ「希望」はかすかに、ごくごくかすかな光をもって響くのだと思う。

■ それを踏まえた上で敢えて言うと『Very Story, Very Hungry』は「希望」を探す物語だったと思う(結局「希望」言ってますが)。「希望」は「物語」であり「町」であり「牛乳」であり、人と人の交流であり、しかし何が「希望」かはわからないままに、人物は旅をして、文字通りに舞台上を激しく移動し、肉体を動かし、私たちの眼前で「いま」を過去に書き換えながら、未来のどこかにある希望の痕跡を追っているかのようだった。牛乳をゆっくりと一息に飲み干す。あのラストシーンが美しく感動的だったのはそうした過程があったからであって、『りんご』のそれを一概に否定するつもりはないが<物語には希望がある>という台詞に集約させてしまう扇情とは別の感興がそこにはあったと思う。

■ いま軽いデジャヴュ感があったので思い当たるとこを見てみたら、前作『Rock and Roll』の感想でも同じようなことを書いていた。

「いま」にこだわりながら刹那主義と決定的にちがうのは「いま」に希望を見いだそうとする態度だ。直線的にせよ円環的にせよ物語が宿命的に抱える不可逆な時間が取りこぼしてしまう希望、あるいは偽りを纏ってしまう希望、語ることで不透明で不確かになってしまう希望。しかし絶望も希望も喪失も獲得も断絶も理解も取り混ぜた神話から日常会話までの物語を物語になる寸前で切断してシャッフル/再構成することで今野氏の言葉によれば<感触>を抽出していく。その<感触>のなかにほのかな希望が託してある。おそらく作者や演者にも確信はなく、それこそ希望の希望だと思う。

■ と、ですね、ここまで書いたところで新展開。バストリオ今野さんから台本を読ませていただけるという、思わぬ連絡がありました。こんな感想を読んでいただけるだけでもありがたいのに、そのような反応いただけるとはまったく光栄なことで、ぜひ読ませてもらえるようにお願いしてみた。たぶんあまりにも私が「忘れた忘れた」書いてるから「なんだこの人は」と呆れて、いい加減な感想書き散らさずに台本渡すからちゃんと内容に合ったの書いてよ、という含みもあるかと思うので、台本読ませてもらったらまた感想書こうと思う。もうちょっと『Very Story, Very Hungry』のほんとに近い感想を。

■ とはいえ、忘れてしまった『Very Story, Very Hungry』もまた私とっての『Very Story, Very Hungry』観劇の体験であって、もう少々このまま書きたいこともあったのだけれど、せっかくだからここで一端終わりにして、台本をいただいたら読んでみて、それからサイトに上がっているキャストやスタッフのみなさんのインタビューも改めて見たり、なんなら他の方が書かれた評なんかも見たりしつつ、もうひとつの感想は書かせてもらおうかと思っている。

■ 台本読んで全然記憶とちがっていたらどうしよう。とりあえずはあやまろうか。


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by gomaist | 2012-11-02 12:51 | 演劇

「 11月/バストリオ『Very Story, Very Hungry』感想2 」


■ 以下を書いてすっかりアップしたつもりでいた。テキストファイルには“1016”(10月16日)とある。観たものの内容どころか自分の行為も忘れているダメさ。しかもまだ続くという…。

■ バストリオ『Very Story, Very Hungry』感想の続きです。続きですがまた間が空いてしまったのは前回も書いたけれど、あれからいくら思い出そうとしてもほんとに内容を思い出せなかったからで、なんというかたいへん申し訳ないです、としか言いようがなく、しかしもちろんこれは義務で書いているわけではないから謝るのもおかしなアレではあるのだけれど(今野さんには「書く」とはっきり言いましたし、それは間違いなく言ったので、自分なりの約束としてずっと心に引っかかっていたのは確かで、今野さんはどういうお気持ちでか「待ってる」とは言ってくれてるしなあ、と「義務感」まではいかないものの、人として書く「べき」だろうという気持ちがなかったわけではない。なので、忘れちゃって申し訳ない、というのは「あんなに素晴らしいものを見せていただいたのに…」という今野さんはじめバストリオのみなさまに対して小さく感じている気持ちです、と一応おことわりしておきます)、あの作品については書き残しておきたいと強く感じて、書きたいこと(それはさすがにある程度覚えている)があったからこそ、いまもこうして書いているわけでして、しかしなあ、話は忘れちゃったんだよなあ。

■ 前置きが長くなりましたが。忘れたことは忘れたまま、記憶違いもかなりあるかと思うが記憶違いは記憶違いのまま、すでに誰かによってどこかに書かれているはずの『Very Story, Very Hungry』評などを参照することなく、ある意味身勝手に、ともすれば私家版『Very Story, Very Hungry』、『Very Story, Very Hungry』俺re-mix、が現れてしまうのも厭わずに、前回内容についてはほぼ触れることなく終えた『Very Story, Very Hungry』の感想を、では、続けます。

■ メモ。あるいは仮説めいた覚え書き。あらかじめ語ることができない物語としての『Very Story, Very Hungry』。メディアとしての物語ではなく、インターフェイスとしての物語。

■ 入場時から舞台美術が露になった横長ステージの上手奥、私の席からはほとんど見えないそこに天蓋風の薄い布が下がり、幾人かの出演者が床の布団に寝ているところ舞台は始まる。20世紀初頭の豊かな欧米のイメージかデコラティブな応接室を思わせるセット、観葉植物、大量の服が掛かった移動式ラック、古いテレビモニター(ラジオだったかも)、ビニール製簡易プールとその上に天井から提がったビニール傘、三角屋根の小さなテント、ギターとアンプ、思い出せるだけでもそれらのものが舞台には点在しており、時間と空間が限定されない場として設定されていることがわかるが、関連性の希薄なモノがそうとわかるように過度に置かれていたせいだろうか、そこ/ここは「過去」か、と感じた。モノは「過去」を内包し、そこに属するものだから。

■ 芝居がかったふうに喋り出したのは(芝居なのだから芝居なのは当然だが「いかにも」な芝居として、つまり何かを演じているものをわからせるように)セルバンテス『ドン・キホーテ』の登場人物たち。『ドン・キホーテ』とはいきなり意表を突かれたが「意表を突かれた」と感じたのは『ドン・キホーテ』にはメタフィクションの祖というイメージがあって、実は読んでいないので周辺の情報から形作った推測でしかないのだけれど、メタフィクションをベースに敷いて語るとは予想していなかったからだ。しかし『ドン・キホーテ』はすでにしてメタフィクション構造をもっていた近代小説の祖でもあるわけだから(つまり小説は物語についての物語という批評性をもって誕生した。というのは知ったか情報ではあるが、『我が輩は猫である』もメタ構造の小説であることは近年読んで知った)、「物語」をテーマにした今作の本気度も同時に感じた。いよいよ真正面からきたぞ、と思った。その冒頭にはベタの予感があった。

■ 橋本和加子演ずる<ドン・キホーテ>はしかし、女性の姿をしているばかりか台詞の語尾に「ずら」を付ける者だった。女性であることに引っかかりはないが「ずら」はそうはいかないだろう。なぜこの<ドン・キホーテ>は方言である「ずら」を使うのか。ずら→コミカル/戯画的な発話→方言→静岡?山梨?群馬や長野のほうでも使った気がする→殿馬(ドカベン)→秘打→指の間を切る手術を受けている。ピアニストを目指した過去あり。→その指を活かしてワンポイントでフォークを投げたことがある。観ながらそんな連想をしたくらい「ずら」にはすごく引っかかったが、いまの連想でいうと静岡以降は本作における<ドン・キホーテ>の「ずら」とおそらくは関係ない。

■ <ドン・キホーテ>が原作のように妄想に取り憑かれた者だとするならば、彼(彼女)は空想の町を探して地図を頼りに旅に出るという。町の存在を否定し旅出を止める<ロシナンテ>と<サンチョパンサ>。夢見るように理想の町の様子を語って制止を聞かない<ドン・キホーテ>が「ずら」言葉=方言を使うのは彼(彼女)は道化であると同時に中央から疎外された周縁の者であることを示している。騎士道譚への風刺でもあった原作のドン・キホーテが妄想者としてトラブルを起こす滑稽な存在であった(と想像してます)ように、これから「物語」を担うことを匂わせる<ドン・キホーテ>もまた同様であり、威勢ばかりいい惚けたように見える者として現れるが、しかしそれを観る私たちは彼(彼女)の語る町がきっと実在すると感じる。原作を少しでも知っていたら、それは<ドン・キホーテ>の妄想だと考えるのが筋なのに私はそう思って観ていた。

■ ひとつには橋本和加子がそのように演じていたからだ。彼女の思いは遂げられるであろう、まだ見ぬ町への希望はそう観客に信じさせるように語られていた。もうひとつの理由は本作が「物語」の物語であるという以上はそのような結末が用意されていてしかるべきだという観る者の期待が反映されていたからだと思う。<ドン・キホーテ>の語る町の存在は「物語」の可能性の是非を問うアナロジーで、だからそれは肯定されるに違いなかった。とはいえ、着地点が予定調和のなかにはないことも期待していた。「物語」の可能性の肯定はある「地図」に関わっていて、<ドン・キホーテ>のいう「地図」とはつまり物語の祖としての『ドン・キホーテ』を下敷きに幕を開けたこの作品そのものであろうと推測できたからだ。冒頭数分間のシーンには単純なメタ構造に逃げず、「物語」のための物語に回収されない(であろう)仕掛けが見て取れ、その先の展開に期待させられた。

■ ところで<ドン・キホーテ>が戯画的な方言を使う地方の者であったこと、それは原作からの援用かもしれないが、穿った見方をすればそこに反中央集権の主張が重ねられてはいなかったか。もっといえば、震災以降いっそう露呈した中央集権システムの欠陥と欺瞞性、日常生活の脆弱さは瓦解した「物語」の姿であり、それを撃ち奪還する役割として<ドン・キホーテ>を反中央の周縁者、地方の者に設定したのではないだろうか。

■ どのように「物語」を。「物語」の何を。肯定するか。なぜいま「物語」なのか。そのための作品の「地図」はそうして広げられたように見えたが、その後のめくるめく展開/転回に私は迷い子になっていくのだった。結果をいえば、しつこいほど書いてますが、私は物語を持ち帰ることができなかった。本を手にするように、データソフトを持つように、脳内に『Very Story, Very Hungry』の物語はフォーマット化されなかった。私がバカであるのを棚に上げさせてもらうと、つまり『Very Story, Very Hungry』が提示したのはメディアとしての物語ではなかった。のだと考えている。あの場にしかなく、あの場で、作品を接触軸に、作品と観る者が変容して、そして消えていく、インターフェイスとしての物語だった。と思ったりしているのだ。

■ 11月。前回からちょうど1カ月経ってしまいましたが感想は続きます。こんな更新頻度ではありますがブログはやめませんので。見てくださっているみなさま、ありがとうございます。

■ ゴマも元気です。



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*橋本さんのお名前を間違えておりました。
 訂正済みですが、
 正しくは「橋本和加子」さんです。
 大変失礼いたしました。(12.11.2)

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by gomaist | 2012-11-01 12:10 | 演劇

「10月になってしまった/バストリオ『Very Story, Very Hungry』感想1 」


■ 9月は一度も更新しないままに10月になってしまった。しかもいまや演劇感想ブログのようになっておりますが、一カ月ぶりの更新も演劇の感想です。前回の記事を書いた日、8月31日に横浜のBankArt Studioで観たバストリオ『Very Story, Very Hungry』

■ BankArt Studioは古い建造物をリノベーションしたアートスペースで、剥き身のコンクリートに巨大な柱、鉄製の扉などから元倉庫か何かかな…となんとなく思いながらこれまでも何度か訪れていたが、1929年に建てられた銀行だったことはたったいま調べて知った。しかし「1953年に竣工された港湾倉庫時代の姿をとどめるコンクリート打放のハードな空間」とホールの説明がサイトにあったので、その後やはり倉庫として使われていたということか。それはともかく、分厚いコンクリート打ちっぱなしの空間に音が反響する上「床面積360㎡、天井高5m」という比較的大きなハコをバストリオは新作公演の場に選んだ(たぶん、「選んだ」のだと思う)。

■ 「選んだ」と仮定してさらに勝手な想像をすれば、ひとつには空間そのものに「物語」を求めたのではないかと思う。時間が蓄積された場の力を作品に付与しようとした、あるいはそうした場で物語ることによる化学反応を意図したのだろう。タイトルにも冠されているように今作のテーマは「物語」。それが物語そのものを物語ることなのか、物語についての物語なのか、物語の批評なのか、それは観るまでわからなかった。ただ前作『Rock And Roll』で「物語」を解体し分断して逆説的に「物語」の可能性を試行して見せた主宰で作演出の今野裕一郎氏は公演後に「次は物語をやります」という意味のことを言っていて、それを私は「物語の中から語る」という意味に取り(あとでまた書くが実際に観終えて主軸はやはりそこにあったのでは、と感じた)、今作の観劇にはそうした期待というか先入観をもって臨んだ。

■ BankArtを選んだ理由と思われるもうひとつは空間の不自然な広さ。私が初めてバストリオを観た前々作『絶対わからない』は千駄木の住宅街にある民家(アパート?工場?)を改築したスペースで、前作『Rock And Roll』は新宿眼科画廊(元病院ではない)というギャラリーだったが、どちらも少し変わった意図的な使い方をしていたのは舞台を横長に設定していた点で、どの位置の席に座っても舞台上で行われていることを同時に視界に収めることができないようになっていた。左端で喋っている役者を見ているときに右の奥に立つ役者の動きを見ることはできないというように、意図的に全景の把握を拒むつくりがなされていた。今作にもおそらくそうした意図があって、組み方によっては通常のように観られる舞台づくりも可能だったはずだがそうはせず、横長に雛壇状の客席を設営した上に客席と並行した横にまで舞台美術があり、しかも巨大な柱数本が演じるスペースとしての舞台に鎮座しているのだから、過去作以上に全景が見えなかったのは当然あえてそうしたのだろう。だから「不自然な広さ」とは通常の舞台作品を基準とした不自然さであって、「人は全景を視ることはできない」舞台外の世界を人工的にそこに出現させるためには自然で必然の選択だったと思われる。(会場は空調が機能せず残暑厳しいなか相当な暑さとなっていて、扇風機の設置や団扇の配布で対応していたがさすがにそれは想定外だったろう。「暑すぎる」という不満の感想も散見した)

■ ここまで会場について書いて、さて本編の話へ、というところでムムム…となった。忘れている。セルバンテス『ドン・キホーテ』の引用というか設定を使って始まった『Very Story, Very Hungry』の、そこからの展開が断片的にしか思い出せない。観たのは一カ月前で、こうして時間が経ってから感想を書こうとしたときにはありがちだが、感想を綴る手がかりがないほどに忘れてしまっている。覚えていることがすべてならその記憶だけで感想を書くか、もしくはわざわざもう書いたりしないのが筋だとも思うが、さらに記憶を手繰り寄せていけば、観劇直後でさえ果たしてどれほどの記憶が残っていたかも怪しいことに気づく。つい先ほど「物語の中から語ることに主軸があった」と核心めいたことを書いたばかりなのにその「物語」を覚えていないというのはどういうことだ、そもそも作り手に対して失礼な話じゃないか。私は上演後の会場で今野氏に「すごくよかった」と意志の強さを感じさせる彼の大きな目を見て言っているのだ。「感想書きます」とにこやかに言い放ちながら実はすでにあの時点で内容をほとんど忘れておりました、ではあまりにもあんまりだ。

■ しかし、この観ているそばから記憶の編み目をするすると抜けていってしまうような、そこに『Very Story, Very Hungry』のおもしろさがあったとしたらどうだろう。忘れしまった言い訳でも後付けの屁理屈でもなく、つかまえたと思った物語や光景は乾いた砂粒のようにみるみる零れ落ちるが、BankArtの空間に激しく反響した台詞や音楽がそうであったように、テキストや役者の身体、ダンス、美術の残響に五感で対峙するような体験が『Very Story, Very Hungry』だったのではないか。そこには演劇作品において「物語」を記述する困難と、それがわかっているからこそ過去作で時間と労力を費やして迂回してきた(ように感じられた)今野氏=バストリオの真摯な態度と格闘が見られるというのは作品の余白(悪く言えば隙)に親切に歩み寄り良きように解釈しすぎだろうか。私には『Very Story, Very Hungry』の「物語」について語ることはできない。もしかしたらあらかじめ語ることはできないものとしてその「物語」は舞台に現れていたかもしれないにしても。しかしたしかに「物語」はあったのだ。

■ また長くなる予感。続きます。記憶は日々薄れてゆくのでなるべくすぐに。



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by gomaist | 2012-10-02 22:15 | 演劇

「 7月に観た演劇、その感想を 」


■ 7月に観た演劇、その感想を。8月も終わりですけど。

■ ままごと『朝がある』@三鷹芸術文化センター(7月1日/7月5日)。大石将弘による一人芝居。石造りの城壁のような高い壁が半円状に背景を覆い他には何もないシンプルな美術。客席後方から大石氏が歩いて舞台に上がり芝居は静かに始まった。ある地方都市、ある朝、ある女学生が登校途中でくしゃみをし水たまりを跳んだ一瞬、その瞬間の世界を大石氏の語りと身体、音楽と照明と映像が描出する。女学生の日常、彼女が暮らす町の風景。水たまりを跳んだときに空にかかっていた虹。虹という現象から光、太陽、空、宇宙へ。水、川、海へ。光の解析、物質の解析、音の解析。視点は女学生の鞄のなかから、地球の外まで跳躍し、急潜行で物質のなかに飛び込んで、分子、原子、陽子、電子核、素粒子まで行き着き、過去から未来を駆け、太陽光に導かれて世界中の星空を巡り、女学生のいまに還ってくる。スケールの大きな視点の移動はチャールズ&レイ・イームズ『パワーオブテン』を想起させた。大石将弘は語り部であると同時に、女学生とは別の時空間にいる鬱屈した日常をおくる男でもあるが、そんな構成上のギミックをすんなり呑み込めたことも含めて演劇的な刺激に溢れた作品だった。圧倒的なセリフ量を大石将弘は軽やかにこなし、歌い、ラップし、舞台を縦横に動いて音楽、照明、映像とシンクロしながらそこに風景を出現させた。確かに女学生はいたし男もいた、川が流れ工場の音で一日が始まる町の駅や電車、路地、水たまり、虹、女学生の家、部屋のなかの様子が様々なカメラアングルで見えれば、光や音の粒子までが見えたような気がした。『わが星』の高揚とスケール、『あゆみ』の発明と完成度を期待したら違うが、『朝がある』は二作の変奏として私は観たし、精度の高さは二作以上かもしれない。何より地味といえばかなり地味な題材が一瞬ディズニーランドを連想してしまうほどのエンターテイメントになっていたことが素敵だ。世界を描写しつくして「いまの生」をそっと肯定する着地は相変わらず優等生だなあと思ったものの、究め方にどこか狂気も感じられてとても好きな作品だった。で、二度観た。原案となった太宰治『女生徒』(*コレ間違えて「女学生」って書いてた。なんとなく昭和な間違いで恥ずかしい…)は作中のモチーフにすぎず作演出の柴幸男氏をインスパイアしたもの、という程度か。初見の帰りには雨のなか会場すぐ近くの禅林寺にある太宰の墓を参った。

■ マームとジプシー『マームと誰かさん・さんにんめ 今日マチ子さんとジプシー』@SNAC(7月21日)。マームと誰かさん3部作の最終回は漫画家の今日マチ子さん。これまでの大谷能生氏、飴屋法水氏からすると、傍目には今日マチ子さんはマーム藤田貴大氏と親和性が高い作家なのではないかと思われる。今日マチ子さんの漫画はネット(ブログ)でしか見たことがないので勘違いかもしれないが、作品の核には思春期の女性への目線があり、彼らが扱うセンチメントは生/死の本質にリーチする揺らぎやすく消えやすい繊細なものだ。また今日マチ子さんの輪郭の曖昧な線と、マーム藤田氏の確定しない言葉の置き方にも共通の意思を感じる。舞台は夏。二人の女子高校生が放課後に川に沿って歩き海まで出る、その間の思いが綴られていく物語。会場の壁にはこの作品のために今日マチ子さんが描いた原画が展示され、それらは作中プロジェクターで役者の背景に物語に合わせて投影される。その距離と重なりから物語やエピソードにも協業の跡が感じられた。親友のように見える二人、実は一方(青柳いづみ)は一方(川崎ゆり子)をわずらわしく思っている。なぜならあまりにも自分に似ているから。彼女のなかに見える自分が鬱陶しい、彼女がどこかに行ってしまわないかと念じている、そんな思春期特有の膨れ上がった自意識に苦しむ高校生を青柳いづみはいつものように飄々と、しかし黒く残酷な心を滲ませて好演していた。私が観た回(初回)だけかもしれないが、川崎ゆり子はいまひとつの調子。何度かセリフをとちり、動きでもきっかけを間違えたのが私の目でもわかり、余裕がなくなっていく様子にちょっとハラハラした。二人の役者をそうして、ちょっとだけ意地悪な目で見ていると、演じようとする川崎ゆり子の硬直した身体と演じているように見えない青柳いづみの解放された身体に気づく。青柳いづみの動きや声は一見カクカクとした自由とは思えない、むしろみずからコントロールできていない不自由さを感じさせるが(もちろん「できていない」のではない、あえていえばコントロールできないようにコントロールしている)、そのことが演じる/演じないの二元論を無効にさせて舞台上に“青柳いづみ”という役者を存在させる。鯉(=恋)の被り物をした青柳いづみの「女子あるある」コーナーも挟みつつ、おもしろおかしく、かわいらしく、物語は川沿いの歩行とともに進むが底流にある屈折した憎悪と閉塞感は「行き止まりの海」に辿り着いて暴発し、青柳いづみは川崎ゆり子を絞殺することになる。しかし「ごめんね」と繰り返しながら馬乗りになって仰向けの川崎の首を絞める姿は作中で現れるプールに飛び込み沈むシーンとの連想で、溺れた彼女(=自分)を蘇生させているようにも見え、みずからを殺めることで生まれ変わる思春期の通過儀礼のような恐ろしくも美しいラストシーンだった。背景にはジャンボジェットが飛ぶが手の届かない憧憬でしかないそれは「男の子のもの」だと彼女たちは女子であることから逃れられない生/性に閉じ込められているが、彼女たちを見るまなざし(作者と観客)は自分のなかにある遠い夏に向けられたそれだったと思う。いやあ、「女子」な作品だったなあ。私は今日マチ子さんのよい読者ではないので青柳いづみの魅力だけで堪能してしまったが、今日マチ子さんと藤田貴大氏のコラボはこの先も続き、来年にはひめゆり部隊を題材にした今日マチ子『COCOON』が舞台化される。

■ 青年団『東京ノート』@東京都美術館(7月22日)。何度目かの再演だが私は初見。会場はリニューアルされたばかりの都美で、上演は舞台を設営することなく美術館の一画に観客席を作った場所で行われた。美術館内の休憩用に椅子が置かれた空間、そこに様々な人物たちが現れて会話をし通り過ぎてゆく、その様を観客である私たちはただ目撃させられる。設定は20××年(実際には上演前のモニターに年号が出ていたが失念)の近未来、上京した美術好きの長女と会うために兄妹が美術館に集まる。最初に登場するのは長女と次男嫁で、二人の世間話や家族の話などから徐々に微妙な人間関係やヨーロッパで戦争が続いていることがわかってくる。そこには彼ら家族とは無関係の者らも現れる。学芸員たち、美術館に親の遺産のコレクションを寄贈する女と恋人らしき男、弁護士、戦地に派遣されて帰って来た男と恋人の女、大学教授(学者?)らしき男と連れの女、大学教授が家庭教師をしていた教え子でかつて恋愛関係にあった学生の女と友人、かつて反戦運動に関わりいまは地方の実家に帰った男と連れの女、彼らが美術館の休憩スペースに立ち寄り、通り過ぎ、なんらかの小さな関わりとドラマの切片を見せていく。劇中の美術館の企画はフェルメールで登場人物がそれぞれに語るフェルメール観が「観ること/視ること」に関する表現論になっており、作品にメタ視点を持ち込むのだけれど、奇しくも会場の都美はフェルメール展の会期中であり(もちろんそれを狙っての上演だろうが)、入れ子構造はより複雑になり現実/虚構がメビウスの輪になったような場に観客は置かれる。そうした劇構造や語られた物語、内包した批評もおもしろかったのだけれど、瞠目したのは役者の動線で、メインの舞台にされた休憩スペースの背景は奥行にして20〜30mはあるロビーと物販コーナーで、突き当たりには階上へ繋がる階段があり、さらに休憩スペース傍にある1機のエレベーターまでもすべてが「舞台」として使われていた。ひとつの場所で複数の会話が同時進行する「同時多発会話」は平田オリザの発明的真骨頂でいまでは他の演劇作品でも普通にその手法は使われているが、この広大で複雑な「舞台」を利用して10名以上の役者を出入りさせながら彼らの織りなす会話をわずかの乱れもなく、あたかもその場で会話が生成してたような間で構成してみせた演出にはほとんど唖然とした。現実のある場面を切り取って舞台上に上げるとき、それを現実に似せるためには現実の精緻な解析だけでなく、一度極限まで分解した要素を再構成し再現する工程が必要になる。そのとき現実から抽出した要素だけでは舞台にそれを出現させることはできなくて、そこで演出の技術が駆動することになると思うのだけれど、平田オリザの技術と実践はなんというか、常軌を逸している。もはや神業の域なのではないか。いうまでもなくそこにはフェルメールの絵にも通じるところがある。工芸品と芸術品の差は「現実から抽出した要素」以外の何かにあるのではないか、と関係あるのかないのかわからないが、そんなことを思った。

■ 長くなってごめんなさい。



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by gomaist | 2012-08-31 23:51 | 演劇

「 いくつか観たものの覚え書き 」


■ 昨日やけに涼しいと思ったら立秋だった。ふだん節気なんて気にしないけど暦通りの気候の変化にちょっとなごんだ。けど、夏はまだ続き、蝉がけたたましい命の音を鳴らす。

■ マームと飴屋さんの感想を書き継いでいた数ヵ月間にいくつか観たものの覚え書き。もうあまり覚えていないんだけど、思い出せる範囲でいまのうちに。

■ 青年団『月の岬』@座・高円寺(6月17日)。作:松田正隆、演出:平田オリザによる12年ぶりの再演で私は初見。松田氏の戯曲も、他人の戯曲を演出した平田氏の舞台も初だった。長崎の古い民家の居間に固定された舞台空間は平田オリザのそれ。長崎弁による土着の世界、そこに囚われ生活する人間のささやかな日常に沈殿した暗部を炙り出していくなかに挿入される超常的イメージ、島と本土に横たわる海に消える人、月、水、そこにいるはずがない者との会話などに南国的湿度を伴った情念が揺らめく。居間の黒電話を効果的に使った複数人の修羅場は平田オリザの演出と役者が異様なまでの切れ味を見せてくれて息を飲んだ。青年団の作品は男優に比べ女優に惹かれることがあまりないのだけれど、今作は男女の愛憎劇の骨格をもったせいか、<姉>内田淳子、<新妻>井上美奈子がとくに印象に残った。姉弟の近親相姦的関係や秘めた女性性を月に照らされた凪の海のように演じた内田淳子とてもよかった。正攻法の舞台でこれほどエッジのある表現が可能かと震撼した。この先まだ何十年も残っていく作品じゃなかろうか。

■ マームとジプシー『ドコカ遠クノ、ソレヨリ向コウ 或いは、泡ニナル、風景』@桜美林大学プルヌスホール(6月24日)。同棲している女性、兄に見送られる妹、友達の結婚式に行く3人の女性、徹夜で飲んだ男性、関係のない彼らがたまたまその朝に乗った電車が事故に遭う。その事故に遭う瞬間の思いを時間的に引き延ばしそれぞれの他愛もない人生と残された者の思いを描いている。と書けばなんとも陳腐になってしまうがマームとジプシーは通俗性もベタな感傷も別の次元へと引き上げる。反復される台詞と動きは他者の「あるある」的なリアルな日常性を観る者の内部へと捩じ込み同期させていく。執拗な反復がまっとうに観賞するリミッターを外したとき、記憶そのものの質感とそこに閉じ込められた感覚が現出する。使われる音楽は爆音で鳴るエモーショナルなシューゲイザー。それは強制的支配的に意識を高揚させるべく機能し、酷使される役者の身体が記憶と感情の増幅装置となって舞台上に、そして同期した私たち観客のなかに感情の奔流をつくる。しかしその奔流に棹を差すように舞台を俯瞰したメタ視点の語りが挿入されて、それはそれでクールだし、まあかっこいいのだけれど、チェルフィッチュ以降に見られるそういう手つきはもういいよという気がしないでもない。舞台が嘘なのも嘘があと数十分で終わるのも、もう私たちのなかにはプリセットされている。虚構を脱臼させる仕掛けそのものが自明で旧態になりつつある。別に新しさばかりを求めているわけではないのだけれど。役者の精根絞りきる動き、会場の構造を活かした動線、照明も美しく、文句なく感動させられたのではあるがとにかくマームはいままた別の高みに進もうとしていて、2008年作の再演であった今作を現在形マームの確認のように観たのも正直なところだ。生きてる者に課される欠落としての死、寸断された時間としての生、それはもういまの手法ではやりきったんじゃないのか。会場は藤田貴大はじめマームとジプシーの面々の母校。彼らが設備の整った(しかもキャパ200席!)この環境からスタートしたことを知りいまさらながら時代の変化を感じたりもして。吉田聡子、召田実子が素晴らしかった。

■ しまった。書き切れない。他の覚え書きはまた後日。

■ ついにガラケーを置き、iPhoneにしてしまいました。キャリアはソフトバンク。電話なんかまずしないのにdocomoさんは料金が高すぎるよ。と常々思っていてそれを実行に移したのだけれど、iPhoneで、ソフトバンクで、ストレスがないかといえばそんなこともなく、慣れないせいもあるんだろうが「これ換えてよかったのか?」と気分がないでもない。便利ってほんと不自由だな。ケータイなんかなくなればいいのに。




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by gomaist | 2012-08-10 01:35 | 演劇

「 これからもまだ私の体とともにある/『マームと飴屋さん』の感想10.1 」


■ 吐き出すように書き継いだ『マームと誰かさん・ふたりめ/飴屋法水さんとジプシー』(以下、『マーム×飴屋』)の感想。言葉の外に出ようなどと大風呂敷を広げてはみたものの、あえて引き延ばした時間が裏目にも出て、結局思い出しつつの確認と解釈に終始してしまい、言葉どころか作品の外にも出られずただ長いだけの感想になってしまったのは残念なことだ。そうなるだろうとは思っていたけどさ、「マーム 飴屋さん」で検索するとこの情報性に乏しい貧弱な内容のブログ記事がずらっと並んでしまうのがさらに申し訳がない。しかし。だ。感想はまだ続くのであった。

■ 『マーム×飴屋』に限らず演劇やライブの会場ではメディアでしか知らない、こちらだけが一方的に存じ上げているアーティストやライターの方をよく見かける。私が観た回ではコーネリアス親子、zAkさん、伊藤ガビンさん、SNACのオーナーなのでたいていいらっしゃるが桜井圭介さんらが客席あるいは会場外にいた。小山田くんが息子の米呂くんと一緒に現れたときはちょっと驚いたが、二人は飴屋法水とライブで共演しているし、米呂くんは昨年飴屋さんが手掛けた『じ め ん』に主演もしているので、いちファンとして私が知っている限りでも繋がりはあって、そうか、来るよな彼らも、とは納得したものの、狭い客席のほんの2メートルほどの正面に座ったコーネリアス親子は観劇中ずっと私の視界に入っていて、ちょっと横を向けば白髪のガビンさんがいるし、会場に入れなかったcob會田洋平さんが道の向かいに見えていたりして、それもまた作品のなかに組み込まれている。

■ たとえば小山田圭吾akaコーネリアスはフリッパーズギターでデビューした1989年からファンとしてずっと作品やライブに接してきて、一方的な関係ではあるにしても23年間の時間がそこには折り重なっていて(六本木WAVEのデビュー盤のコーナー展開とか、会社でいつもかけていたこととか、ライブとか、メディアでの発言とか、CD、ソロの活動、海外での成功とか、オザケンとの関係とか、友人とのコーネリアス談義とか…、書いていったらキリがない)、その人がやはりファンとして聴いてきた嶺川貴子さんとの間に生まれた子どもを横に座らせ、自分と同じ空間にいて、視界のなかで同じ作品を観劇しているとき、彼らがいない場合とは受け止め方はきっとちがっているはずだ。ささいなバイアスかもしれないが観劇しながら小山田くんのことをふと考えてしまうくらいには作品に影響が入っている。会場の戸が外されて会場全体が戸外とつながった『マーム×飴屋』ではそれが「小山田くんと一緒に観ちゃった」というミーハー的なトピックとはまた別の意味合いを帯びてくる。

■ ライブなどで現実に接していたとしても小山田圭吾や多くのミュージシャン、俳優やタレント、あるいは作家も、流通する作品含めてメディアの住人は私にとっては半分虚構の存在だ。ドラえもんのような架空の存在とはさすがに私も大人なので区別はついているが、しかし家族や日常で会う人々と小山田圭吾を現実/虚構のマトリックスに置いたとしたら、小山田圭吾はずっとドラえもんに近いところにいる。そんなドラえもん的小山田圭吾が子連れで同じ客席にいて、舞台にはドラえもんや小山田圭吾よりややこちらに近いマトリックス上にいる飴屋さん(それは同じ客として会場でよく遭遇し娘のくるみちゃんと遊ぶこともあるから)が現実/虚構の狭間を往還する飴屋法水として立っていて、戸外には隣人的日常の人物が野次馬顔で通り過ぎて行く。この現実感の捻れ。境界の溶解。『マーム×飴屋』はそうしたことも巻き込んで自分のなかに着床した作品だった。

■ 入場を待つ間には山川冬樹さんもふらりと来て、飴屋さんと無言で抱き合っていたけれども満席で会場には入れずに帰っていく姿も見た。あるいは開演直前まで米呂くんの膝に座っていたくるみちゃん(くるみちゃんも『じ め ん』に出演していてつまり二人は共演経験がある)が突然「ちょっと遊んでくる」と言って小走りで外に出て行き、上演中は前の道を歩き回っていたり、夜の回を待つ間に飲んでいたとき通りかかったホームレスのおじさん(現実世界の生々しい象徴のようだった)と交流&諍いがあって会場の前で騒ぎ出した彼をなだめて帰したり、飴屋さんが最後に屋根を歩いた路上に停めていたクルマはzAkさんが運んできたもので、元の持ち主はフィッシュマンズの故佐藤くんであると知ったことなど、これらはどこからどこまで作品であって作品ではないのか、その線引きを考えるのはつまらないことに思え、この日観たことや人やもの、さらにはこの日以降に『マーム×飴屋』と結びついたことも、『マーム×飴屋』があらかじめあの会場から流れ出た作品であった以上は作品の一部なのだと考えることにしている。

■ 昼の回を観たあとで、外からも観れることを知り夜の様子を観ることにしたのは何度も書いた。で、SNACに行くといつも寄る縁台を出している肉屋(外飼いの二猫、トンキチ&トンペイがかわいい)の焼き鳥を食べながら酒を飲んでいると、かえる目のフロントマンにして大学教授でもあられる細馬宏通氏akaかえるさんが連れの方と話しながら通り過ぎて行った。「中世社会においては」などとむずかしそうな話をしていたがきっと『マーム×飴屋』の夜の回を観るのだろうと思いつつ、またもドラえもん的存在に出会って小さく興奮していたところ、それも酔っぱらって忘れかけていたのだけれど、焼き鳥の席で知り合った女性が夜の回の開場を待っている人で、終わったあとにもお互いに挨拶して、これから知り合いと近くの居酒屋に行くと誘われたので店に顔を出せば、そこには細馬氏が同席していたのだった。私はかえるさんこと細馬氏のファンでライブにも何度も行っていて、音楽のみならず人間かえるさん(かえるさんと呼ばれている方の人間性ね、ややこしいけど)に魅了され続けてきたので、泥酔しながらもファン心理が前にぐいぐいきてビビりろくに話ができなかったのだけれど、クルマがフィッシュマンズ佐藤くんのものだと知ったのは後日の細馬氏の日記でだった。

■ 6月3日に観て私のなかに着床した『マーム×飴屋』はこのようにずるずると現実に触手を伸ばすかのように出来事を引き寄せながら、2カ月後のいまに至るわけだけれども、まもなく感想はひとまず終えようと思う。10回以上にわたる感想のなかで何度か書いてきたように、入場時のドリンクとして飲んだ缶ビールを皮切りに、15時から23時過ぎまで場所を変えて(ほぼ路上だったけど)飲み続け泥酔した私はSNACまで乗ってきた自転車での帰り道に激しく転倒してしまった。車道から歩道に入る際、ロード仕様の細いタイヤを路肩に引っ掛けてしまい、相当の速度を出していたせいで数メートル体が飛ばされ地面に体を打ち付けた。なんだ、これ、これじゃまるで『マーム×飴屋』の飴屋さんの再現じゃないか。と考える余裕もないほど肘、膝、脇の激痛に耐えながら帰ることになったのだけれど、脇を打ったときに肋骨にヒビでも入ったのか半月以上寝返りも呼吸もつらい痛みは続き、肘と膝には汚い色の痣がいまも消えずに残っている。ずるずるずるずるとあの作品はこれからもまだ私の体とともにある。

■ 『マーム×飴屋』の感想はとりあえず終える。ここで考えたことなどはそろそろ仕上げたい次の小説のようなものにつながっていくだろう。どちらも誰にも求められていないところがなかなかのキホーテっぷりではあるが。知ったこっちゃない。




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by gomaist | 2012-08-02 23:20 | 演劇


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