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「 何度ひどい目にあっても 」

■ 浅草新春歌舞伎終わりに友人らと居酒屋に行って、昼飯食ってない空きっ腹で3時くらいから飲んでたものだから解散した9時くらいにはもう記憶が薄いほどに酔っていた。それなのに、嗚呼それなのに、家に戻ったら階下の実家に近所の親戚が来ていて呼び止められ、調子に乗って12時過ぎまで飲んでしまったのだった。おかげで昨日はひどい二日酔い。こんな強烈なのは久方ぶりというほどの。終日臥していて今日になってどうにか復調したがまだ胃腸がダルい。昼に食べた煮込みうどんさえ胃にもたれている有様です。親戚との酒では何年ぶりかで会った人たちなのに思い返すとべらべらと余計なことを喋っていた。いやだいやだ。それなのに、嗚呼それなのに、何度ひどい目にあっても飲んで飲んで飲まれて飲んでまた酒を飲むのでしょう。酒は麻薬だよね。

■ 歌舞伎は舞台の特性上横位置の画と左右の移動が基本で、書き割りのセットといいフラットな世界に押し込めることがベースになっているのだな、と考証的に正しいかどうか知らないが今回観ていて気づいた。そこに襖を開けるなどの奥と手前の移動、奈落や吊りなどの上下の移動が現れることは2次元から3次元への跳躍のようなもので、だからそれだけのことが舞台上ではスペクタクルとして立ち上がる。今回は前から3列目の真ん中という良席で観られていつも以上に舞台と役者の放つ圧を感じた。見る人によっては少々アクが強く感じられるかもしれない亀治郎がとても良かったのはテレビで馴染みがある顔と垣間見える人間性の「華」のせいだけではなくて、声や所作に込められた密度とそこから放出される圧にあると思う。修練の賜物ではあっても修練だけでは身につかないものであって、どんな職業でもそういう面はあるにせよ、役者ってのは因果な生き方だなあと思った。演目は『南総里見八犬伝』富山山中の場/大塚村庄屋蟇六内の場/円塚山の場、『夕霧 伊左衛門 廓文章(吉田屋)』。『廓文章』は近松作の上方和事で落語や吉本新喜劇みたいだった。

■ ゴマはまだ吐くし腹は下っているけれど、しっこは順調に出ていて色も薄くなってきた。なんとか薬を飲ませることが出来ているので少しずつだけど良くなっている。



なー、ゴマ。「 何度ひどい目にあっても 」_d0075945_1455337.jpg
by gomaist | 2012-01-09 15:01 | 演劇


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